次世代に伝えるスポーツ物語一覧

柔道・鈴木桂治

 「日本一は世界一じゃないと。何が何でも勝ちます」。4月、柔道の全日本選手権を4年ぶりに制した鈴木桂治はこう言って、世界選手権(8月、パリ)への決意を高らかに宣言した。そこにはいまなお、衰えを知らぬ情熱がほとばしる。31歳。ベテランはもう一度、頂点に立つべく、来夏のロンドン五輪を目指している。
 2004年アテネ五輪の柔道男子100kg超級金メダリストは、これまでまさに天国と地獄を味わいながらも、現役にこだわり続けてきた。
 柔道を始めたのは3歳のとき。兄の影響からだった。アテネで五輪の頂点に立ち、それまでの努力や涙…は、報われたはずだった。ところが、08年北京五輪で暗転する。100kg級代表、さらには日本選手団主将として「集大成」をかけて臨んだ、その舞台でよもやの1回戦敗退。登った頂が高かったからこそ、落ちた谷も深かった。「あれで何にもかも失った。アテネで勝ったことまでも…」。練習を再開する気にもなれず、「翌年(09年)はほとんど空白。何もしていなかった。でも諦めきれない自分もいて…」。現役と引退の狭間で脂汗を流す日々を送った。

 この挫折は、柔道に対する取り組み方を変えさせた。趣味というゴルフも封印し、とにかく柔道と向かい合う。「北京の時は慢心というか、メンタルの部分で問題があったのかもしれない。負けることでいろいろなことを考えるようになった」。「技の人」という過去の面影もない。柔道に対する姿勢がプレースタイルにも変化を及ばした。音がしそうなほど、二の腕をきしませ、執念深く相手を追い…。泥臭い闘い方を見せるようになった。

 世界選手権代表入りで、「やっと3度目の五輪を目指せる権利を得た。まだ世界で闘えるところを見せないといけない」。その思いには理由がある。五輪を目指す上で、同じ100kg超級の世界選手権代表には21歳の上川大樹(明大)がいる。先を考えれば、若手に期待が集まるのは当然の流れだ。それでも黙って引き下がるつもりはない。

 昨年の世界選手権100kg級金メダルの穴井隆将を下した全日本選手権決勝で、勝因を聞かれた鈴木は「我慢」と一言。自ら「崖っぷち」と認識する状況と向き合い、もがき、跳ね返してきたからこそ「我慢」の2文字には重い響きがこもる。来夏のロンドンで、今度こそ「集大成」を演じたい-。そのためにはこの夏を、渾身の力をもって乗り切らねばならない。冒頭の言葉に込められた思いでもある。=敬称略(昌)