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2014-10-17

「50年目の10月10日」〜坂井義則さんを偲ぶ

 「50年目の10月10日」は、さまざまな響きをもって迎えられ、そして去って行った。1964(昭和39)年東京オリンピックの記憶が、一つの区切りを迎えて感慨が深い。2014年10月10日、その日、国立競技場から最大のシンボル「聖火台」が取り外された。高さ2.1メートル、重さ2.6トンの巨大な鋳物は、埼玉県川口市の鋳物師、鈴木万之助さん、息子の文吾さんらが辛苦の末に完成させた。万之助さんは制作の過程で体調を崩し68歳で急逝。文吾さんは父の遺志を継ぎ、執念で夢を実らせたのだった。その作品の内側には、文吾さんがそっと父の名前を彫り込んだとされる。その文吾さんも今は亡い。

 東京のシンボルであり続けたこの聖火台は、しばし国立競技場を離れる。大震災の被災地、宮城県石巻市の公園に運ばれ、復興を見守る新たなシンボルとなる。2020年を前に完成する新・国立競技場には再び戻る予定だが、いつまでも「もの言わぬ温かさ」を湛え続け、僕らの大いなる遺産であってほしい。

 小柄で長髪、どこから見てもスポーツとは縁遠い、学究肌の友人がしみじみ言った。「何もかも時の流れには逆らえないのでしょうか。国立競技場に変わってほしくなかったモノが二つありました。聖火台と1月15日です」。彼は、酒とラグビー観戦を愛する男である。長年、1月15日を待ちわびて前夜から酒を飲み、赤ら顔で国立競技場にやって来た。過去のもとなったが、1・15ラグビー日本選手権には今も愛着の念を抱いて、遠くを見るような目になった。様々な知恵と理由があって、成人式の晴れ着姿が見守る中で行われた、ラガーマンたちの1・15国立決戦は消えた。

 そして聖火台。この巨大な鋳物に聖火を灯した坂井義則さんは、50年目の10月10日までわずか1カ月を余した9月10日、病気のために帰らぬ人となった。69歳だった。「今から楽しみでワクワクするよ」という声が耳から離れない。小生は、坂井さんの逝去を受けて、翌日の東京新聞、東京中日スポーツに評伝を寄せた。幾ばくかの反響があり、今も問い合わせが届くこともあって、おこがましいとは知りつつ、ここにその全文を掲載することをお許し願いたい。

 「また今度な」。そう言うと、坂井義則さんは西武新宿駅へと消えていった。今年の春先、新宿の「大小原(だいこはら)」で一杯やりながら、坂井さんは言った。「楽しみだなあ、20年の東京五輪。一緒に見ようや」。それが、もうかなわない。

 「大小原」は多くのスポーツ人に愛される居酒屋だが、坂井さんはここがお気に入りだった。1964年10月10日、坂井さんが秋空に掲げた聖火のトーチは貴重なお宝である。それを、時々、坂井さんは自ら持って現れ、この店に飾っていたほどだ。多くのアスリートに無言のオーラを放ち、夢をかき立てるには十分な仕掛けだった。「これは僕だけのものじゃない。みんなのものだからね」と、坂井さんは話した。

 坂井さんを見舞った店主の大小原貞夫さん(70)が話す。「意識はないのに手足を動かすんだ。手は聖火台に点火するしぐさ、足は階段を駆け上がるように見えた。亡くなる前に青春がよみがえっていたのかもしれないね」。

 酒を愛し、人を愛した人だった。遠い記憶がよみがえる。90年8月、坂井さんの母校早大とエスビー食品の北海道・常呂合宿中に、交通事故が起き、金井豊、谷口伴之両選手らが亡くなった。記者は現地へ飛んだ。そこには既に坂井さんがいた。「おい、宿はないぞ。民宿をおさえたが、来るか」。晩夏の宿で布団を並べて寝た。静まり返った部屋に坂井さんのおえつが聞こえて来た。

 あの春の宵、駅へ向かって去った坂井さんの後ろ姿が忘れられない。栄光の聖火ランナーは本当に旅立ってしまった。

 「50年目の10月10日」の後、僕らにやって来るのは、2020年への旅路である。あの東京が遺した道の延長上に、新たな歴史が創られることを信じたい。遺すべきは遺す、創造すべきは創造する。東京が、日本が輝く日がまたやって来る。

mitsuzono

満薗 文博

1950年生まれ 鹿児島県いちき串木野市出身 

学生時代の夢は「事件記者」「作家」

座右の銘は「朝の来ない夜はない」

鹿児島大学教育学部卒

大学まで陸上競技部(走り幅跳び、三段跳び)に所属

【経歴】

中日新聞東京本社(東京中日スポーツ)報道部長を経て現在、編集委員

【オリンピック】

1972年ミュンヘン大会から2012年ロンドン大会まで全ての大会の報道に携わる。88年ソウル、92年アルベールビル冬季、同年バルセロナ、96年アトランタは現地で取材

【著書】

「小出義雄 夢に駈ける」(小学館文庫)

「オリンピック・トリビア!〜汗と笑いのエピソード〜」(新潮文庫)

「オリンピック面白雑学」(心交社)

「オリンピック雑学150連発」(文春文庫)

【執筆】

「見つける育てる活かす」(中村清著・二見書房)

「小出監督の女性を活かす『人育て術』」(小出義雄著・二見書房)など

満薗 文博さんはスポーツジャーナリストOBによる社会貢献グループ「エスジョブ」に参加されています。

S-JOB(エスジョブ)公式サイト