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オシムの言葉-フィールドの向こうに人生が見える




 イビチャ・オシム。おそらく日本で一番有名なボスニア・ヘルツェゴビナ人だろう。「万年降格争い」と称されたジェフ市原を優勝争いに絡めるチームに押し上げた立役者であり、2006年には日本代表監督に就任、翌07年11月に脳梗塞で倒れるまで務めた。ジェフ監督就任直後から、独特の言い回しで頭脳派監督としても注目を集めたが、本書では、アジア、東欧の民族問題に詳しい著書がジェフ以前のユーゴスラビア代表監督時代や、祖国の民族問題に翻弄された半生を中心に綴っている。
 オシムは1986年、ユーゴスラビア代表監督に就任した。現名古屋グランパスエイトの監督を務めるドラガン・ストイコビッチら世界屈指のタレントが集まり、W杯でも上位に絡める戦力がそろったが、真の敵は内側にあった。「モザイク国家」と言われ、現在では6つの国に分裂しているユーゴスラビアでは、誰を起用するかでそれぞれの民族が対立するという日本では想像もできないことが起こっていた。オシムは、これら多民族、異文化の違いを許容し、踏まえつつ、選手のクオリティーを見据えながら、軸となる選手を選び、チームを作っていった。90年のW杯イタリア大会では準々決勝で強豪アルゼンチンにPKで敗れたものの、優勝したドイツのマテウスはユーゴスラビアを「最強」と称えた。著者も「ユーゴスラビア崩壊後、すべての共和国のサッカーシーンを取材して来たが、驚くべきことにどの地域からも、オシムこそが最高の監督であったと聞き及んでいる。(中略)すべての民族と平等に接していたオシムが如何に求心力を持っていたかの証左である」と記している。
 92年には祖国の紛争でサラエボが分断され、家族と2年半も会えないという、これまた日本ではあり得ない現実に直面する。多民族国家で生き抜くため、自分の身を守るためには他文化を許容し、思慮深い発言をすることは必至だったのだろう。しかしながら、イビチャは本書でこれを静かに否定する。「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が…」。
 オシムの体験はあまりに哀しく、想像の域を超えている。オシムのサクセスストーリーには間違いないのだが、あまりにも切ない読後感が残る。だからこそ「知る」必要がある、とも思う。