決断~阪神引退からのリスタート~
2009年12月9日、レッドスターと呼ばれ、ダイヤモンドを駆け巡った男は引退会見を行った。赤星憲広33歳。現役生活9年間で阪神球団最多記録の381盗塁を積み上げた赤星の突然の引退表明には、誰しも驚いたに違いない。私もその一人であり「もったいない」としか思えなかった。小柄ながら常に全力プレーで駆け回るスタイルは常に若々しく、見ているものを勇気づけ、ファンを興奮させる。衰えを感じさせない赤星の姿を思い浮かべると「まだできるのではないか? 」としか思えなかった。 しかし、真実を知ると、「もったいない」などと口にはできないだろう。結果として、現役最後の試合となった、2009年9月12日阪神対横浜戦での、ダイビングキャッチを試みての怪我はかなり深刻であった。診断結果は中心性脊髄損傷。脊椎が損傷するということは、脳からの命令が届かず運動や知覚といった機能が失われることにつながる。最初の1カ月は日常生活さえ満足に送ることができず、医者が「次同じようなケースが起こったら、命の危険もある。」と口にするほどの大怪我で、どこまで回復するか見当もつかなかった。 だが、赤星はあきらめなかった。縦縞のユニフォームを着て必ずもう一度プレーをし、ファンに自分の姿を見てもらおうと、懸命にリハビリをした。しかし、球団は引退勧告をする。受傷直後の勧告にいったんは、「まだやれる」とあきらめない気持ちを出すが、怪我から82日目、引退を決断する。 2003年からの車椅子寄贈活動。計301台。何かできる社会貢献をさがし、盗塁数と同じ数の車椅子の寄贈を始めた。足の不自由な人へ、足を武器とする赤星の社会貢献。引退会見後の最後の贈呈式では「まだまだ贈り続けられるはずだったと、思いながらサインした」と書き記してある。赤星ファン全員が同じ思いを抱いたに違いない。 実は、以前から赤星は首に爆弾を抱えていた。命の危険という恐怖を持ち、選手として余命ゼロの中で100パーセントの力で戦い続けた。その裏には赤星の野球に対する強い気持ちが伺える。常に全力プレーを掲げてダイヤモンドを走り回った野球人生が「決断」にはぎっしり詰まっている。
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