スポーツの書棚~JTL Book Review一覧

2015-2-5

「すべてのマラソンランナーに伝えたいこと」

bookrev08 正月の「箱根駅伝」はダークホース的存在だった青山学院大が優勝候補に圧倒的な差をつけ、初優勝を大会新記録で飾りました。その模様はテレビ映像で全国どこでも見られたはずですが、この大会が生の映像で伝えられるようになったのはそれほど古いことではありません。NHKの著名なスポーツアナウンサーだった西田善夫さんは長年、ラジオ中継車に乗ってレース展開を伝えた人ですが、「いつかテレビで生中継できたら夢のようだなあ」と話していたのを思いだします。箱根の山中では電波の技術的困難もあった時代でした。

 テレビ中継によって箱根駅伝の人気は格段に上がりました。その結果、テレビ会社にとっては高視聴率を稼げる、全国の高校生ランナーは箱根を目指して首都圏の大学に集まる。大学も箱根に出場すれば入試の受験者数が増加する、となればますますエスカレートするはずです。半面、今回の箱根駅伝直前に著名なスポーツジャーナリストが「箱根駅伝はスポーツか」という批判的コラムを全国紙に発表するなど、その悪影響を指摘する声もないわけではありません。

 批判の大きな論点の一つは「駅伝がマラソンをダメにしているのではないか?」という古くて新しい疑問です。著者の瀬古氏は早大時代に箱根駅伝で活躍する一方、福岡国際マラソンで初優勝。社会人になってからも、全日本実業団駅伝でヱスビー食品のエースとして初出場初優勝から4連勝するかたわら、ボストンマラソンなど著名なマラソンで優勝するなど、現役時代は継続して駅伝とマラソン(15戦優勝10回)を両立させてきた実績の人です。

 その瀬古氏は著書の中で「箱根がマラソンをダメにしているとは思わない」と断言しています。「箱根で20キロを走るための練習を中心にするから世界の潮流であるスピード化についていけないというのは誤解で、持って生まれたスピード能力がそれによって落ちることはない。私自身、20歳から箱根駅伝、マラソンを走ったが、スピードがないと言われたことはない。それどころか、速いペースで長い距離を押していけるスピード持久力がつき、5000m、10000mの記録を更新できた。箱根駅伝がスピード化を阻害しているというのは間違い」と言います。

 むしろ、大切なのは「実力のある選手にとっては箱根駅伝がゴールではないことを自覚すべきだし、指導者はそう指導しなければならない。問題があるとすれば、箱根駅伝を中心にレースのスケジュールを組んでいるような場合だ」と指摘。例えば、毎年10月にある箱根駅伝予選会への準備のために、9月にある学生最大の大会、日本学生選手権を欠場することには疑問を抱かざるを得ないし、競技者である以上、箱根駅伝が最終目標ではなく、いつかはマラソンを走るのだ、という志を持っていることが重要だと語ります。

 では、なぜマラソンが重要なのか?これについては「日本人にはマラソンしかない」と明快です。瀬古氏の師であった故・中村清氏は1936年ベルリン五輪で1500mに出場、当時の日本記録を出したものの、結果は予選落ち。格闘技とも言われるこの中距離種目では身体がぶつかることが多く、体格差、スピード差を痛感。それと相俟って、マラソンの孫基禎が優勝したことが原体験になって、この時に「日本人にはマラソンしかない」と確信したそうです。中村氏はそれから40年後に、インターハイの800m、1500mで2年連続2冠王だった瀬古氏を中距離から引っこ抜いてマラソンに転向させたのは自らの体験に基づいた慧眼によるものでした。世界のマラソン界で10勝して世界最強の称号を得させたのですから。

 瀬古氏は「日本人にはマラソンしかない。世界との差は広がってしまったが、まだ世界と戦えるはずなのだ。トラックの10000mを鍛えながらマラソンの準備をすること。スピードを磨きながら、それを長い距離で継続できるスピード持久力を磨くのだ。10000mで27分30秒の力があり、継続したマラソン練習ができていれば今でもマラソンで戦える」と説き、最後を次の言葉で締めています。

 「まだ、間に合う。日本人はマラソンで勝負してほしい。これが私の切実な願いだ」。

 瀬古利彦、新宅雅也、中山竹通、宋茂・猛兄弟、谷口浩美、児玉泰介、伊藤国光、工藤一良ら強い選手がひしめいていた一時代を取材した者としては、わくわくするようなマラソン日本の再来を願っています。 (了)

渡部 節郎さんはスポーツジャーナリストOBによる社会貢献グループ「エスジョブ」に参加されています。

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