「言葉の瞬間芸」〜2020年 ラジオ中継はどうなる?
昨今、テレビ地上波でのプロ野球中継が減ったので、ラジオ中継を聴く機会が増えた。
昭和30年代のプロ野球人気興隆期、ラジオにかじりついてナイター中継を聴いた身としては、今年のクライマックスシリーズをプレーボールから中継してくれた民放ラジオ局には大いに感謝しなければいけない。
しかし、この試合に限ったことではないのだが、聞けば聞くほど、「昔のラジオ中継とは違うなあ」と思ってしまうのが、残念ながら本当のところだ。一体何が違うかというと、まずプレー情報が乏しく、従って臨場感が乏しいのである。
たとえば、こんなところだ。
「ピッチャー、第1球、投げました!」「打ちました!」「ショート捕りました!」「一塁、アウト!」
おおむね、この4つのセンテンスでワンアウトとなっていた。「ファウル!」となったら、ボールがどこに飛んだのか知りたいし、また「デッドボール!」になったら、打者のどこに当たったのかは伝えてほしい。これではイライラさせられるばかりだ。
むかし聞きなれた中継はこんな具合だった。
「ピッチャー、軸足でプレートを踏んで、大きく振りかぶった。伸びあがるような大きなモーションから~さあ~第1球~投げました!」「アウトコースへの直球!」「打ちました!流し打って三遊間への当たりだ。ショート追いつくか?ワンバウンド、ツーバウンド。逆シングルで捕った!深いところから遠投だ」「さあ~一塁に間に合うか?一塁手、身体を一杯に伸ばして~うまくすくいあげた!間一髪、アウト~!」「ショートは捕った後、右足を踏ん張ったままの体勢からノーステップで一塁へ矢のような送球。いい肩を見せました!」
投球モーションに入ってからワンアウトまで10秒そこそこの情景描写を、アナウンサーは舌なめずりするような得意の名調子で聴かせていた。至れり尽くせりの情景描写が聴く者の想像力を大いに刺激してくれるのである。
「先ほどまでうっすら残っていたアカネ雲の空は、今はとっぷり暮れてカラスのヌレバ色。七色のカクテル光線がシッコクの空に美しく輝いております」
子供のころ、意味も分からずに聴いた言葉の断片が、その野球場の光景とともにいまだに記憶に残っているのには驚く。
話し言葉の力は大きい。ラジオのプロ野球アナウンサーは言葉の瞬間芸を駆使して人を想像力の世界に引き込み、興奮させ、笑い、涙させることに生き甲斐を感じていたはずである。これこそ、ラジオというメディアの魅力だと思う。そのエネルギーをラジオ中継から感じられなくなったと思っている。
技術革新によって消えた職人芸は多い。映画のカツベン。無声映画のスクリーンの脇でスターの吹き替えをしていた活動映画弁士の名調子はトーキーの発明によって姿を消した。駅改札口で客の切符に猛烈なスピードでハサミを入れながら、決してキセル犯を見逃さない駅員のすご技。札束を扇子状に広げ、早く正確に数えた銀行員。新聞社で漢字を逆さまに彫った活字を間違いなく拾って素早く組み上げた活版印刷工。この先、ラジオのプロ野球放送技術をこの列に加えることがないようにエールを送りたい。
1964年の東京オリンピックは日本全国にカラーテレビを普及させた。野球アナウンサーたちの活躍の舞台は次第にラジオからテレビへと移っていったのだが、56年ぶりとなる東京五輪のスポーツ中継でラジオはどんな役割を果たすことになるのだろうか。
東京五輪の放送権はNHKと民放各社で構成するジャパンコンソーシアムが獲得したが、放送計画などはまだ決まっていない。8K時代到来を視野に入れたテレビと、全競技を映像で伝えることになると予想されているインターネットが電波報道の主戦場になるのかもしれない。ラジオは何をどう中継することになるか。野球はオリンピックの実施競技から外れたものの、その後の報道をみれば一縷(いちる)の望みがないわけでもないという、何ともじれったい現状ではある。日本で野球のないオリンピックというのも締まらない。大好きなラジオ中継活性化のためにも、逆転開催の満塁ホームランを期待している。
<追記> 国際オリンピック委員会(IOC)は12月8日、モナコで開いた臨時総会で、開催都市は一定の範囲内で複数の種目を追加提案することができるよう、改革案を承認した。これによって、早ければ来年夏のIOC総会で野球・ソフトボールが復帰する道が大きく開けてきた。
1946年生まれ 岐阜県出身
[ 経歴 ]
早稲田大学政治経済学部経済学科卒
㈱毎日新聞社入社。スポーツ取材約35年。プロ野球、社会人野球など野球全般。
1988年ソウル五輪では主に陸上競技を担当、1992年バルセロナ五輪では特派員団統括デスクとして現地取材。