次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2011-10-12

大相撲・魁皇

2011年10月12日

 大相撲は単なるスポーツではない。この21世紀に江戸時代と同じように髷を結い、廻し姿で相撲を取る。土俵入りや仕切りの所作にもそれぞれ意味がある。そこにあるのは風情という名の香りだ。
 2011年7月の名古屋場所を最後に引退した大関魁皇。まさに風情のあるお相撲さんだった。
 福岡県直方市に生まれた古賀博之は少年期から柔道をたしなみ、中学卒業と同時に15歳で友綱部屋に入門した。ただ、本人に角界の門を叩く確固とした意志はなく、周囲の大人たちに、いわば外堀を埋められるような形で入門が決まったという。プラモデルが好きで、それほど相撲が好きでなかった古賀少年は、持ち前の怪力を伝統的な稽古で磨き、あの「魁皇」に育っていった。
 逸話には事欠かない。リンゴを片手で握りつぶす。216キロの横綱武蔵丸を一本背負いで投げ、朝青龍と旭鷲山が風呂場で乱闘寸前になると間に入ってそれを制した。酒に酔っ払って相撲協会の役員に絡んでしまったこともあった。盟友・千代大海を破って幕内通算808勝の新記録を達成した日には、引退危機だった相手を慮りテレビのインタビューを断っている。豪快でいて憎めない人柄があってこそ、その立ち居振る舞いに触れる側は優しい気持ちになれた。

 左四つ右上手の型を武器にして若貴兄弟や曙といった同期生、ライバルの武双山らと鎬を削った現役時代。大関昇進のチャンスを何度も逃し、優勝も5回しながら綱取り場所では「自分のペースを保てなかった」とことごとく失敗した。晩年は腰や膝などに故障を抱え、かど番は13回。声援を送るファンをやきもきさせた。

 それでも、39歳の誕生日の5日前まで土俵を務め、通算勝ち星1047勝をはじめ大関在位65場所、幕内在位107場所など数々の史上1位の記録をつくった。これら手にした勲章は、地道に続けてきた稽古と体のケアの成果にほかならない。

 引退会見で、23年余りに及んだ土俵生活を「悔いも後悔も一切ありません」と振り返った。そして、浅香山親方として歩む第二の人生では「自分よりもっと強い、格好良い関取を育てたい」という。その心と体には大相撲の世界でしか味わえない喜怒哀楽がたくさん詰まっている。きっと、「お相撲さん」と呼びたくなる「気は優しくて力持ち」を育ててくれるはずだ。=敬称略 (志)