次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2014-9-15

スキー・三浦雄一郎

2011年9月15日

 人間、何歳まで健康でいられるんだろうか。そんな漠然とした問いに常にひとつの指標を与えてくれるのが、三浦雄一郎である。プロスキーヤーとして、世界7大陸の最高峰の頂からスキーで滑降し、75歳でエベレストに登頂した。2年後には80歳での登頂を目指している。医学が発達した現代においても、超人、といえるだろう。しかしこれまでの三浦の人生は、決してまっすぐしたものではなかった。

 旧制中学の受験に失敗。中学浪人を味わい、ひきこもり同然の日々を送った。このときに母から聞いた、「おじいさん(当時は代議士)なんか、選挙で落ちたら4年も浪人なのよ。なによ1年ぐらい」の声に元気づけられ、翌年、見事に合格した。
 大学は北海道大獣医学部を受験。高校で、夏はスイミング、冬はスキーの日々を送って来た身に取って、受験勉強はかなりの苦行だった。精神的にも追いつめられていたころに、「そんな勉強してどうするの。歌手にでもなればいいのよ」との母の言葉にまたしても勇気づけられた。母方の親戚には、歌手の淡谷のり子がいた。「どうせ受からないだろう」と受験にはスキー道具を持って行き、札幌近郊の山をひたすら滑っていたが、滑ることなく合格した。
 大学在学中に、国体に出場し、オリンピックに出場しようと夢見るが、出身の青森県での地区予選で、総合4位。4位までは国体出場の権利があるとされていたが、大会本部が突然2位までと発表。三浦は抗議し、大会本部は混乱。この混乱の責任を取って、三浦はアマチュア資格をはく奪されてしまった。これによって、公式のスキー大会には出場できなくなった。結果的にみれば、この絶対的な危機が逆に功を奏す。大学卒業後、スキーへの気持ちは捨てがたく、米国へ渡って世界プロスキーの大会に参戦。総合8位と好成績を残す。このときに、滑降の最速記録を出している。
 ゲレンデのスキーに限界を感じた昭和41年から、「オンリーワン」を目指し、富士山の直滑降を皮切りに、世界の最高峰からの滑降をはじめた。昭和45年にはついにエベレストの直滑降に挑み、転倒ならぬ転落しながらも、無傷の生還を果たした。
 65歳になったとき、70歳でのエベレスト登頂を目指そうと、メタボの身体に鞭を打って身体づくりを行い、見事登頂に成功。そして、2008年には、75歳でも登頂した。この時点では、世界最高齢での登頂だったが、その後記録は塗り替えられた。そのため、2013年に、80歳での世界最高齢の登頂を目指して、現在トレーニングを続けている。
 まさに七転び八起きの超人人生である。=敬称略(銭)