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2015-2-13

「今時の若い者」に贈るエール

 最近聞かれなくなったワードに「今時の若い者は…」というのがある。これ、おおむね否定的に使われ、「なっていない」だの「だらしない」だの「頼りない」などと、揶揄する時に使われていた。

 ほんのたまに、今でも耳にするが、発する人は間違いなく減ってきているように思う。だいたい思えば、この言葉は還暦に至った、あるいは至る年代が、その上の年代の人たちに言われ、それを踏襲して下の年代にぶつけてきたような気がする。小生も「言われた」年代であり、たまに「ぶつけた」不肖の人間でもあったような気がする。

 思えば、言われた方は決して気持ちのいいものではなかった。それなりに努力し、考えを巡らしてやったことに、枕詞のように「今時の若い者は…」と言われると、怒りがこみ上げたものである。これを励ましととらえた人は少ないだろう。小馬鹿にされた思いだけが残っている人の方が多いのではないか…。 だから、言われて気持ちのよくなかったこのワードは、時を経ながら影を薄くしてきているのだろう。

 しかし、ほかにも、影が薄くなったワケはあるのだと、最近感じるようになった。今でも現役を自任する小生は現場を歩く。

 昨年暮れ、仙台で行われた全日本実業団女子駅伝。かつて日本の女子長距離界は、マラソンで、有森裕子の92年バルセロナ銀、96年アトランタ銅、高橋尚子の00年シドニー金、野口みずきの04年アテネ金メダルとオリンピックはじめ国際大会で隆盛を誇った。それが、以降、低迷期をさまよい続けている。しかし、時々雪が舞い底冷えのする仙台で、かすかな晄が差すのを見た。明らかに新旧交代の波がやって来るのが見えたのである。おなじみのベテランたちの名前を押しやるように、社会人1年生、2年生をはじめとする若いランナーたちが躍動した。正月の箱根駅伝では、新「山の神」神野大地君(青学大)はじめ、学生たちが頼もしく健脚を披露した。

 しかし、小生が新聞のコラムにしたのは、1面を飾るような若者ではなかった。仙台の女子駅伝ではアンカーを務めながら、ゴール前で逆転を許しわずか12秒差で来季のシード権を逃したホクレンの大蔵玲乃選手。箱根ではいわゆる「つなぎ」の区間を走り、区間12位だった山梨学院の市谷龍太郎選手だった。

 大蔵選手はその日が19歳の誕生日という社会人1年生。8位までシード権の取れるレースで、最後の最後、振り切られて9位のゴール。「私の走りでシード権を取って誕生日を祝い、チームのみんなで喜ぶ夢を見ました。それが…」。それでも彼女は、涙の後で前を向いた。「もっと頑張ろうという言葉を、私自身への誕生日プレゼントにします」。

 市谷選手も大学1年生。わずか1500グラムで生まれた未熟児は、その影響で左目の視力ゼロ、右目は0、3。159、5センチ、45キロの小さな体で伝統校ただ一人、1年生で正選手として抜擢された。高校2年で父親を胆管がんのために失っていた。中学1年まで「好きだったから」とサッカー部に入る。しかし、不自由な目ではボール、選手の距離感がつかめない。失意の彼に父は言った。「おまえにも走ることはできるぞ」。そこから始めた長距離の道だった。「父に感謝しています。恩返し? いえ、まだまだ足りません。僕はもっと強くなって天国の父を喜ばせてあげたい」。

 話は変わる。小生が講師を務めるある大学での出来事だ。一人の女子学生はいつも、前列中央に座る。彼女を真ん中にして左右に年配のご婦人が二人。学生は私の口の動きや板書を追い、ご婦人方は懸命にメモを取る。そう、彼女は耳が不自由で、左右の女性二人はボランティアなのだ。ハンディキャップをおして、彼女は大学の門をくぐっていた。ある日の課題のレポートに彼女は書いてきた。「私は耳が聞こえません。だから、みんなにもっとデフリンピック(ろう者のオリンピック=IOC認定)のことを知ってほしくて勉強しています」。小生は授業の前に彼女らの席に近づき言った。「とてもよく書けていたよ」。3人の顔がほころび、同時に笑顔のあいさつが返ってきた。

 「今時の若い者」の多くは、それなりの夢を描き、それなりの頑張りで生きているのだ。そうでない者には励ましを与えたらいい。いつか「今時の若い者」のフレーズが、肯定的に「今時の若い者は…よくやるねえ」と変化する日がやってきたらと、老コラムニストは思う。日本の未来は間違いなく「若い者」が引っ張っていってくれるのである。

mitsuzono

満薗 文博

1950年生まれ 鹿児島県いちき串木野市出身 

学生時代の夢は「事件記者」「作家」

座右の銘は「朝の来ない夜はない」

鹿児島大学教育学部卒

大学まで陸上競技部(走り幅跳び、三段跳び)に所属

【経歴】

中日新聞東京本社(東京中日スポーツ)報道部長を経て現在、編集委員

【オリンピック】

1972年ミュンヘン大会から2012年ロンドン大会まで全ての大会の報道に携わる。88年ソウル、92年アルベールビル冬季、同年バルセロナ、96年アトランタは現地で取材

【著書】

「小出義雄 夢に駈ける」(小学館文庫)

「オリンピック・トリビア!〜汗と笑いのエピソード〜」(新潮文庫)

「オリンピック面白雑学」(心交社)

「オリンピック雑学150連発」(文春文庫)

【執筆】

「見つける育てる活かす」(中村清著・二見書房)

「小出監督の女性を活かす『人育て術』」(小出義雄著・二見書房)など

満薗 文博さんはスポーツジャーナリストOBによる社会貢献グループ「エスジョブ」に参加されています。

S-JOB(エスジョブ)公式サイト