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2014-6-9

『日本のFリーグ、関東リーグ観戦からの考察』

 筆者(私)は毎日スペインでフットサルの指導および研究に従事している。私が勤めるのはスペイン1部を戦う『サンティアゴ・フットサル』という名門クラブだ。毎日の厳しく統制されたトレーニングシステムだけではなく、サテライトチーム、下部組織のトレーニング、毎週の試合などからも学ぶものは多い。そんな私に2013年末に東京の駒沢で開催された関東リーグ、および2014年の年明けに墨田区で開催されたFリーグセントラル大会をじっくり観戦する機会を頂いた。僅か6試合ではあるが、日本のフットサルを現場でじっくりと観戦することができた。

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 短い視察期間の中で痛感することは多々あったが、今回のコラムでは私なりに考えるスペイントップレベルと日本のトップレベルの競技の差について考察したい。私の主観ではあるが、毎日スペインの競争環境に慣れ親しんだ視点から意見を述べてみたい。

◆日本には世界最高レベルの環境施設がある

 まず何よりも関東リーグ、Fリーグともに試合会場や運営が素晴らしい。先進国の日本らしい、完璧ともいえる会場設営のレベルを楽しむことができた。日本に限らず、台湾でもそうだが、やはりアジアの先進国にはしっかりとした環境基盤を準備する経済力がある。綺麗に整備された試合会場はどれも文句のつけようがない。整備された環境そして演出や駅からのアクセスなど、その全てが完璧といえる。フットサルという新しいボールスポーツ競技のため、会場そのものが伝統的な場所ではないのも理由の一つだろう。日本の会場の全てが“新品のもの”というのが筆者の第一印象だ。

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◆マナーのいいサポーターの存在

 そして試合会場に足を運んで、施設の次に注意を引いたのが、観客のマナーの良さである。また観客以外にも、日本のJリーグにも見られるようなサポーターが関東リーグやFリーグには存在する。いずれの会場でも、サポーターや観客のマナーの良さが私には大きなショックであった。まず観客が感情をむき出しにして相手選手、審判、サポーターに対して大声で罵るという場面が殆どない。欧州や南米ではごく当り前となる、感情移入、フラストレーションの発散、地域代理戦争、民族・言語間の争い・・・という観戦側の介入要素が日本では感じられない。これは選手間にも共通して言えることである。日本が均一民族であることなどを考えれば当然のことではあるが、非常にマナーのいいサポーターには大きなショックを受けた。

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◆観客の年齢層などについて

 フットサルを応援しに来た観客層であるが、日本の客層はやはり若い。首都圏でのフットサルの大会では、あまり50代以上のサポーターなどを日本で見かけることはなかった。スペインでは典型的とも言える、孫の試合を観戦する高齢者グループは、日本ではまだ見られない。伝統の差と言えばそれまでだ。しかしスペインでは荒々しく大声を上げる中年、高齢の男性サポーターが試合に殺伐とした雰囲気をもたらしている。日本では逆に若い女性のサポーターなどの姿が多く見られた。日本は全体的に穏やかで、平和的な雰囲気に会場が包まれている。観客全体のマナーがいいことも加わり、試合をヒートアップ(技術・戦術的にはスピードアップ)させる大切な要素が欠落していた。また感情移入というコンセプトがないため、中立の立場で試合を観戦している大部分の観客がフェアプレーを傍観しに来ているという感覚を受けた。

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◆コーチングスタッフの介入について

 今回のコラムの大きなポイントの1つが『コーチングスタッフの介入』である。フットサルでは日本の2部に相当する関東リーグ、そして国内最高峰のFリーグも観戦した。そこでコーチングスタッフの試合への介入というポイントについて大きく考えさせられた。結論から言えば、日本のコーチングスタッフ(監督を含める)は、試合への介入度がスペインに比べると圧倒的に少ない。その理由には、選手を含めた平等型の『ボトムアップ教育』の影響があることも考えられる。明らかに日本のコーチングスタッフは、私が観戦した試合では『傍観者』に近い存在だった。筆者の定義ではあるが、日本フットサルの1部、2部の試合ではコーチ陣による戦術的介入、戦略的介入、技術的介入の全てが圧倒的にスペインの4部、5部のクラブと比較しても明らかに低い。スペインのエリート環境から見れば、以下のようなポイントが日本のコーチングスタッフに“欠如”しているとも表現できる。

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*試合前のウオーミングアップの指揮、要求、管理など

*試合中の味方選手に対する管理、支持、統率、意思疎通など

*試合中の対戦相手に対する牽制、威嚇、コミュニケーションなど

*試合中の審判団への働きかけ、コミュニケーションなど

*試合中のチーム戦術の適用、変更、準備、分析、解決など

*セットプレーや特別な状況(退場者による数的不利など)における指示

*選手を含めたベンチとのコミュニケーションの希薄さ

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◆選手の自立性について

 前置きとして、コーチ陣の試合への介入が低いからといって、選手の自立性が高いとは一概に断言することは不可能だ。しかし日本の関東リーグなどでは、選手の自立性がとても目立った。日本では日頃のトレーニングから、選手がどれぐらいコーチングスタッフに管理されているのか、またどれぐらい自立した形で競技と向かい合っているかを十分に理解することができた。

 傾向として、組織だった日本のチームでは、選手は与えられたシステムに対する役割を果たすことを求められている。私の視点からの観察では、試合の状況に応じて選手が具体的な解決方法を探す場面は少ないように見えた。また選手が個人、集団として問題に直面するという印象も少なかった。特殊な言い方だが『テレビゲームで操作したようなゲーム展開』という表現が、日本のフットサルのゲーム展開を見て筆者の頭をよぎった。言葉を変えれば、日本の選手はロボットのように黙々と頭の中にインプットされたパターンを追求しているようにも見えた。

◆試合のスピードと激しさについて

 日本で観戦したフットサルの6試合のリズムや激しさは、スペインのそれとは全く異っていた。結論から言えば、日本のフットサルはスペインに比べて明らかに激しさに欠けている。『何が異なるのか?』その大きな理由の1つに、フットサルにおける守備の重要性の低さがあると筆者は考える。守備の要求度が高くないために、試合のテンポや緊張感がかなり落ちてしまう印象である。

 また攻守の切り替えに対する意識の希薄さによって、試合の激しいリズムチェンジの機会が抑制されている。先述にあるように、試合における守備への要求度は高くない。リスクを冒した守備が少ないため、危険な形から起こる守備の切り替え(トランジッション)が見られない。同時にボールを奪う位置、意図、切り替えへの意識などから、激しいカウンターの応酬のような試合展開にはなりにくい。戦術意識としてのトランジッションゲームの制し合いが存在しない試合が多かった。

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◆個人能力、集団技術の発揮について

 これは少し残念な結論ではあるが、日本の選手はスペイン人選手に比べて圧倒的に『対人能力』で劣っている。ここでの『対人能力』の定義は、敵対するプレーヤーが全く存在しない、アナリティック(分析的)な状況における個人の身体的、技術的能力とは全く異なることに注意したい。つまり実戦に要求されるような“対人での身体・技術能力の発揮”において、日本の選手はスペイン人選手に大きく差をつけられている印象を受けた。

 この対人能力とは、ボールを扱う個人技や、直線距離を走る能力ではない。対戦相手が存在する状況で、ボールを持つ、ボールを持たない状況における対人での知覚、決断、実行の幅が日本ではまだ劣っている。また相手守備のプレッシャーを受けた状態、受けていない状態に応じて技術・戦術選択を臨機応変に行なう能力の質にも留意したい。

 今回のコラムでは、このようなグローバルな状況下での個人戦術発揮能力を『対人能力』と簡略化して表記する。日本のフットサルに欠ける『対人能力』とは、守備、攻撃に一貫して存在する問題である。これは日頃から“個人戦術を発揮しながら集団戦術を追及するためのトレ―ニング習慣”を実践していないことから発生する問題と私は考えている。

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◆国民性の違い、積極性のなさについて

 先にも少し述べたように、日本のフットサルでは守備の概念が希薄だ。守備の概念や意識以外にも、アグレッシブさや変化にも欠けている。そして圧倒的に選手間の衝突、ファール、いざこざ、言い争いが日本では見られない。文化的にルール外で口論したり、衝突することが、美徳に反すると考えられる日本の文化が背景にあるだろう。その他様々な理由から、やはり守備においてもそのアグレッシブさを失ってしまうと感じられた。日本のフットサルは『ルールを守りながら、お互い攻め合いましょう』という美徳すら感じられるゲーム展開が多く見られた。

『ルールは破るためにあるもの』というスペイン人国民と、『ルールは守るべきもの』という日本人の違いが如実に表れている。

 その他、効率的な勝利のためにアグレッシブな守備を主軸として、相手の攻撃バランスを壊してカウンター攻撃するという、トランジッション至上主義は感じられなかった。また日本では審判のジャッジメントも、そのような攻撃的な守備や試合展開に対しては、決して寛容ではない。スペインでは確かに危険ではあるが、相手選手と押し合ったり、罵りあったり、激しくコンタクトをすることが許される傾向にある。ボールスポーツ全体に競争力と激しさが欧州では理解、許容されているためだろう。

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 実際、統計ではスペイン2、3部のフットサルの試合では毎試合に平均で7.5枚のイエローカードが出されている。傾向としては、退場すること、警告されること、審判に抗議することに全く抵抗がない国民性をスペイン人は持っている。それ以外にもさまざまな国民性の違いが、ゲームのテンションや展開に影響を与えているのは明らかな事実だ。

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◆ゴールキーパーの存在について

 ゴールキーパーの存在感という観点からは、やはり身長の高さや体格からか、日本のフットサルに関しては迫力がないように感じられる。またスペインやブラジルによく見られるように、幼い頃から室内ゴールでトレーニングを積んだキーパーには、スペースや距離感のコントロール能力が備わっている。またゴールキーパーに高い評価が与えられるスペインでは『キーパーは選び抜かれた存在』という概念がある。サッカーでも、ハンドボールでも、フットサルでもゴールキーパーがキャプテンとしてチームを統率する文化も存在する。

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◆セットプレー、戦術的な限界について

 あくまでも私が観察した範囲内ではあるが、日本の試合ではセットプレー(またはサインプレー)などに対して、チームとしての“約束事”があまりない印象を受けた。また日本ではボールをリスタートする瞬間に、やはりコートの大きいサッカーと同じで、まずは丁寧にゲームを構成する意識が強いようだ。フットサルに関して言えば、体育館のサイズで行なわれるため、あらゆるリスタートがゲーム展開を変化させる可能性があることに慣れ親しんでいないのだろう。スペインの選手達は、セットプレーを幼い頃から、自分達で考えながら、試合の状況に応じて使い分ける能力を習得していく。確かにFリーグの試合ではしっかりとセットプレーや特殊戦術を使いこなしている印象を受けるが、やはり高い洗練度という観点からは物足りなさが隠せなかった。

セットプレーの攻撃バリエーション

セットプレーの守備バリエーション

ブロック動作などのオフボール動作

ルールや審判を合法的に欺く技術

攻撃、守備における戦術のバリエーション

試合全体を通しての戦略のバリエーション

◆おわりに

 以上のように、いくつか日本のフットサル環境を視察して感じたことを述べさせていただいた。あくまでも個人の意見であり、正しい意見とは限らない。しかし日本でボールスポーツを追及する方々にとって、今回のコラムが何かの役に立てばと願っている。