次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2014-1-29

モータースポーツ・佐藤琢磨

2014年1月29日

 日本モータースポーツ界の新たな歴史を切り開いた。2013年4月21日、米国カリフォルニア州ロングビーチ。市街地を走る1周3・17㌔のコース80周で競うレースで、前半に首位に立つと、そのまま逃げ切ってみせた。2位に大差をつけての完勝だった。「夢のようだった。優勝するときはこういうふうに来るんだということを感じた」。北米最高峰の自動車レースとされるインディカー・シリーズで、佐藤琢磨が日本人ドライバーとして初めて頂点に立った。
 バイタリティーは10代のころからずば抜けていた。10歳のときに三重県鈴鹿市で開催されたF1日本グランプリを観戦し、そのスピード感や臨場感に魅了されたという佐藤だが、学生時代にまず夢中になった乗り物は、自転車だった。和光学園高校(東京)では、自らが中心になって自転車部を立ち上げ、高校総体で優勝。1995年に早稲田大学進学後も自転車部で活躍し、同年のインターカレッジで2位、96年には全日本学生選手権で優勝した。
 同年代のトップとして着実に結果を積み重ねてきた第一人者だけに、そのまま自転車競技を続けてもおかしくないところだが、佐藤の決断は違った。子供の頃から抱き続けていたモータースポーツへの強い憧れから、鈴鹿レーシングスクールに入学し、主席で卒業。大学を中退し、レーシングドライバーの道を歩み始めた。
 そして、2002年にF1デビューを果たし、04年の米国グランプリで3位に入るなど順調に成長を続けた。しかし、思わぬ形で状況は暗転した。当時の所属チームが金銭面で厳しい状況に追い込まれ、08年に撤退する事態に。F1復帰の道を模索したものの、かなわず、新たな活躍の場として選んだのが、インディカーだった。
 シリーズ参戦4年目、52戦目での快挙に、「メジャー大会での初優勝なのでうれしい。大きな自信につながった」と手応えを口にした佐藤。今年もまた、新たな高みを目指して、ハンドルをにぎり続けている。=敬称略(謙)