次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2014-1-22

ノルディックスキー複合・河野孝典

2014年1月22日

 日本が冬季五輪に初参加した1928年サンモリッツ大会から代表を送っているノルディックスキー複合で、個人種目でメダルを獲得したのは1994年リレハンメル大会で銀メダルに輝いた河野孝典のみ。W杯で3度総合優勝を果たした荻原健司も、五輪の個人種目では4位が最高成績だった。
 その唯一のメダルだが、河野への期待が大きかった訳ではない。期待されていたのは、やはりエースの荻原。飛躍(ジャンプ)でリードして距離(クロスカントリー)で逃げるのが日本の必勝法だったが、リレハンメルでは飛躍で日本勢は奮わず、荻原が6位と出遅れる中で、4位につけたのが河野だった。
 1969年3月、長野県野沢温泉村に生まれた河野は、5歳からスキーを始め、小学校4年でジャンプ、中学1年で複合を始めた。飯山南高から早大に進学すると、大学3年時に世界ジュニア選手権で知り合ったノルウェー選手の元に自費留学。本場の選手の生活や最先端のトレーニング法を学び、「結局は孤独に勝つこと」との信念を身につけたという。そして、この留学での経験を元に練習を積み、W杯などでの躍進につなげていく。
 そして迎えたリレハンメル。後半の距離(15㌔)に向け、河野は「まだ半分終わっただけじゃないか。前向きに走ります」と挑んだ。言葉通り、スタート直後に3位に上がると、3㌔過ぎからは地元ノルウェーのビークと銀メダル争いのデットヒートに。「最後に1㌢でも前に出ればいい」と歯を食いしばってのゴール。ビークとはわずか0秒8差の2位に入った。「いい走りをすれば必ずメダルに届くと思っていた。ラスト1㌔で前に出たのは計算通り」。早大の後輩でもある荻原の陰に隠れがちな存在だったが、その荻原とともに1992年アルベールビル、そしてこのリレハンメル大会と、団体で2大会連続金メダルを獲得した河野が、日本に複合初の個人のメダルをもたらした瞬間だった。