次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2014-1-14

スキー ジャンプ・原田雅彦

2014年1月14日

 競技開始が約30分も遅れる激しい風雪に見舞われていた。1998年長野五輪スキー・ジャンプ団体。金メダルが期待される日本は1回目、岡部孝信、斎藤浩哉が好調な滑り出しで首位に立ち、3番手の原田雅彦の順番を迎えた。
 原田には期するものがあった。4年前のリレハンメル五輪ジャンプ団体。このとき、「日の丸飛行隊」には1972年札幌五輪以来の金メダルが目前にまで迫っていた。2本目で西方仁也が135㍍、続く岡部孝信が133㍍、葛西紀明が120㍍と見事な飛躍を見せ、1回目トップのドイツに55・2点差をつけて逆転。最後の原田が105㍍を飛べば、優勝だった。しかし、ここでまさかが起こる。「踏み切りのタイミングが狂った」という原田は97・5㍍と大失速。ドイツに再び逆転を許し、銀メダルに終わった。うずくまり、しばらく動けなかった原田。1980年レークプラシッド五輪で、八木弘和が銀メダルを獲得して以来の日本勢のメダルとはいえ、素直に喜ぶことは出来なかった。長野はその雪辱の舞台でもあった。
 だが、ここでも再び失速を演じてしまう。猛吹雪が災いしたのだろう。79・5㍍。続く船木和喜も伸びず、日本は4位と出遅れてしまう。「また、みんなに迷惑をかけるのかな」。原田の心は乱れた。
1968年5月生まれ、北海道上川町出身。身長173㌢。小学校3年の時からジャンプを始め、上川中学時代には、史上初の中学生代表として世界ジュニア選手権に出場した天才も、リレハンメルでの失速で自信を喪失。五輪翌年の1995年にはフォームの改造がうまくいかずに、W杯メンバーからも外された。失意の日々を乗り越え、努力を重ねて迎えた長野五輪。それだけに、このままでは終われない―。
 迎えた2回目、日本は岡部がバッケンレコードの137㍍をマークし、首位を奪還。そして原田も137㍍の大ジャンプを披露してチームに貢献。最後の船木が125㍍を飛び、夏冬を通じて日本にとって通算100個目となる五輪金メダルを確定させた。その瞬間、涙顔の原田が真っ先に船木に抱きついた。「よかった。みんな頑張ったなぁ」―。感慨深げな原田の涙声が会場に響いた。
 長野では個人ラージヒル(LH)でも銅メダルを獲得した原田。世界選手権では1993年にノーマルヒル(NH)、97年にLHを制覇してもいる。長野後には、2006年トリノ五輪にも出場。しかし、NHはスキーの長さに対して体重が足りずに失格してしまう。そして、そのシーズンで競技人生を終えた。=敬称略(昌)