次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2013-9-20

ラグビー・田中史朗

2013年9月20日

 大男ぞろいの中を、小柄な体が躍動感あふれる動きで、時に突破し、時に素早くパスを回し、つなぐ―。世界最高峰のラグビー・リーグ「スーパーラグビー」。2013年、166センチ、75キロのスクラムハーフ、田中史朗は日本人として初めてその大舞台に立った。スーパーラグビーは、NZ、豪州、南アフリカの強豪3カ国の15チームが参加し、ワールドカップ(W杯)で優勝を争うチームの代表や代表予備軍がしのぎを削る世界屈指のリーグだ。
 1985年1月生まれ、京都府出身。伏見工高1年の時に全国高校ラグビーで優勝。京都産業大を経て、2007年に三洋電機(現パナソニック)に入り、1年目からレギュラーとして活躍していた。そんな田中が、海外挑戦を決意したのは自身初出場となった2011年W杯ニュージーランド(NZ)大会で胸に刻んだ悔しさにあった。この大会で日本は1分け3敗と惨敗。ラグビー人気が長く低迷する中、代表に魅力がなければ人気回復は望めない。「申し訳ない」という思いでいっぱいだった。世界と競える実力を養うには何をすればいいのか-。結論は海外への挑戦だった。
2012年春。所属するパナソニックの理解も得て、NZに渡り、オタゴ州代表としてプレー。持ち前の素早いパス回しで高い評価を受け、「日本のラグビーも世界に通用する」と手応えをつかんだ。そしてスーパーラグビーのハイランダーズ入りが実現。厳しいポジション争いを経て、2013年2月の開幕戦でいきなり初出場を果たすと、4月には初先発。そして5月には日本人として初トライも決めた。
 「日本人が一人でも多く世界に出て、2019年W杯を成功させたい」。思いは一つの成果をも呼び込んだ。6月、日本代表対ウエールズ代表。過去12回対戦して全て負けていた相手に初めて勝利し、「歴史を変えることができた」と涙を流した。
 2019年W杯では、「日本の試合を全部満員にしたい」と田中。だからこそ強くありたい。「ここ(ウエールズ戦勝利)がスタート。全員でまとまって、勝ち続けていく」。6年後を見据え、さらなる成長を誓い、楕円球と格闘する日々を送る。=敬称略(昌)