次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2013-6-18

ゴルフ・尾崎将司

2013年6月18日

 「エージシュート」ー。耳慣れない言葉だが、ゴルフ用語で、自分の年齢よりも少ないスコアで回ることを指す。これをプロのトップ選手が集まる日本ツアーで史上初めて達成したのが「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司だった。
 2013年4月の「つるやオープン」(兵庫県山の原GC)初日のことだった。5番から4連続バーディーを奪い、パー5の17番では全盛期を思わせる飛距離で見事に2オンに成功。そして残り7㍍のイーグルパットを鮮やかに決めた。終わってみれば、コース記録に並ぶ「62」、もちろん単独の首位に立っていた。「(記録のことを)特に考えてないよ。トーナメントで勝つことが目標だから」と笑った尾崎は66歳。4打も余裕を持っての記録達成だった。
 1947年1月生まれ、徳島県海部郡宍喰町(現・海陽町)出身。高校時代は野球でその名を轟かせた。徳島県立海南高校(現・海部高校)のエースとして1964年春の甲子園(選抜高校野球大会)に出場し、快進撃を演じた。決勝で尾道商業(広島)を下して初出場初優勝を成し遂げた。翌年、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団。だが、プロ野球の世界では芽が出なかった。実働3年で退団し、その後はゴルフ場で働きながらプロゴルファーを目指したという。
 1970年にプロテストに合格。挫折を乗り越えて、躍進が始まる。翌年、「日本プロ」で初優勝を飾ったのを皮切りに、わずか3カ月で5勝。明るい性格と身長181cmと恵まれた体格から繰り出される驚異的な飛距離も魅力十分で「ジャンボ」のニックネームがつき、ゴルフ人気を大いに高めた。日本ツアー通算94勝、賞金王12回、メジャー大会20勝は歴代1位。2010年には世界ゴルフ殿堂入りも果たした。だが、年齢を重ねれば、体力も落ちていく。それでも50歳以上の選手だけで競うシニア大会には興味がないのだという。若手と戦いたい―。優勝は2002年が最後。2012年シーズンは1度も決勝ラウンドにすら進めなかった。周囲の選手との年齢差は広がるばかり。だが、それでも諦めない。ひたすらトレーニングに励み、挑戦し続けた。その延長線上に史上初の記録があった。
 「つるやオープン」最終日。4日間を終え、結果は通算2アンダーの51位。実に約3年半ぶりとなるアンダーパーだった。「貯金を使い切れなかったよ」と尾崎。その表情には満足そうな笑みが広がっていた。また挑戦を続ける。=敬称略(昌)