次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2013-5-7

騎手・安藤勝己

2013年5月7日

 大きな足跡を残した騎手が2013年1月末、静かにステッキを置いた。「アンカツ」の愛称で親しまれた安藤勝己。1960年3月生まれ、愛知県出身。デビューは16歳。笠松競馬場(岐阜)だったが、2003年に地方から初めて日本中央競馬会(JRA)に移籍を果たすと、日本ダービーをはじめ中央GⅠ22勝(歴代3位)を積み上げた。まさに名ジョッキーだった。
 「動物が好きだったこと」。引退会見で、騎手生活を支えたものを問われた際の答えだ。兄も笠松出身の騎手だった安藤は、中学1年の夏から厩舎に住み着くようになったという。騎手への道は、自然な流れだった。1976年10月に初騎乗。笠松競馬で長くトップに君臨し、後に中央で大人気を博すようになるオグリキャップの地方時代の主戦ジョッキーでもあった。笠松で大活躍を演じていた安藤に転機が訪れたのは1995年。この年から地方と中央の交流競走が増え、安藤もライデンリーダーで桜花賞に挑んだ。1番人気にも推されたが、4着。「自分の経験がないせいで、(馬に)悪いことをした」。この悔しさが中央移籍への強い思いとなったようだ。
 2001年に移籍を目指してJRA騎手試験を受験。しかし不合格となる。だが、地方所属とはいえ、実績抜群の騎手を学科試験で不合格にしたことに対し、批判が巻き起こった。翌年、JRAは「過去5年間に中央で年間20勝以上2回なら1次試験免除」という試験要項の改定(いわゆるアンカツ・ルール)を実施。再び受験した安藤は2003年に晴れて合格。42歳での新たな挑戦の始まりだった。そして、要項改定が“正しかった”ことを、自らの手ですぐに示した。移籍後わずか1カ月でGⅠ(高松宮記念)を制したのだ。
 地方時代から数え切れないほどの騎乗経験で、馬の気持ちを感覚でつかんだ。さらに、たたき上げの“職人”は、ゴールの最後まで諦めない粘りも併せ持っていた。強さ、うまさに加え、そうした泥臭さも地方から中央への道を切り開いた「先駆者」の人気の要因だったのかもしれない。  2013年、納得のいく騎乗ができなくなったことを理由に、引退を決断した安藤。同年2月3日に京都競馬場で行われた引退式で、「JRAにきてから10年が経ちますが、本当に早かったです。たくさんの思い出がありますが、レースでは初めてGIを勝ったビリーヴの高松宮記念、馬ではダイワスカーレットやキングカメハメハなどが思い出に残っています。本当に強い馬に乗せてもらい感謝しています。声援に応えることができなくなったので、引退を決めました。今まで本当にありがとうございました」とあいさつ。仲間に胴上げされて、騎手生活に別れを告げた。=敬称略(昌)