次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2013-4-19

ボクシング・村田諒太

2013年4月19日

 「金メダリストであり、プロの世界チャンピオンという日本人初めてのものに挑戦したい」。プロへの転向を正式に表明した2013年4月12日の記者会見。前年夏に行われたロンドン五輪ボクシング男子ミドル級で金メダルを獲得した村田諒太は眼光鋭く、決断の理由を訴えた。
 「(プロ転向は)極限的にゼロに近い」―。1964年東京五輪バンタム級金メダルの桜井孝雄以来、日本勢として48年ぶり2人目の五輪王者となった直後は、プロ行きを否定していた。以前にも「アマがプロに転向したらつぶれる。自分は世界チャンピオンよりも指導者になりたい」と語ってもいた。しかし、目標を達成し、時間が経つにつれて胸の内には、ふつふつと新たなチャレンジへの渇望がわいていた。
 1986年1月生まれ、奈良市出身。「やんちゃだった」という村田は、担任の勧めもあって中学1年でボクシングを始めた。南京都高校(現・京都広学館高)では、何度も全国大会を制覇。自分の強さに酔いしれた。その後、東洋大に進学。だが、順調だった歩みには大きな壁が待っていた。最大の目標とした北京五輪への出場が叶わなかったのだ。07年世界選手権で五輪出場枠にあと1勝届かず、翌年の五輪最終予選でも敗れた。喪失感があまりにも大きかったのだろう。第一線から退くと決断。引退後は東洋大の職員兼ボクシング部コーチとして後進の指導を担当した。だが、新たな道に踏み出した矢先に事件は起きた。2009年2月、東洋大ボクシング部の元部員が覚せい剤密輸入に関与したとして逮捕。ボクシング部は活動自粛を余儀なくされた。リーグ戦には出られないが、個人戦ならいい…。このとき村田が出した答えが、自分が復帰して大学の汚名をそそぐ、だった。日中は大学職員として働き、練習は早朝と夜という厳しい毎日。だが、努力はウソをつかなかった。再起戦となった09年11月の全日本選手権で優勝。そして11年世界選手権で日本勢として初めて決勝に進み、銀メダルを獲得。ロンドン五輪へとつなげた。挫折とそこからの奮起を支えたのが家族。プロ転向に際しても「もし許されるなら残りの夢を追いかけたい」と相談すると、背中を押してくれたという。
 平坦な道ではない。2月に日本ボクシング連盟にプロ転向を伝えた際に、信義則違反があったとして引退勧告を受けるなど、アマ側との関係がこじれたこともあった。東洋大も3月に退職した。今は亡き高校時代の恩師からは「人間の可能性は無限にある」と教えられた。再び自らを信じて最高峰のリングを目指す。
 金メダルを手にした直後に「これは僕の価値じゃない。これからの人生が僕の価値になる。(金メダルに)恥じないように生きていきたい」と語った。メダリストからの”転身組”はこれまでにもいる。だが、東京五輪の桜井は世界挑戦で判定負けを喫し、ほかに日本の五輪メダリスト2人がプロに挑戦したが、頂点に立った例はない。「判定を狙うボクシングをするつもりはない。誰でも分かる決着がつくボクシングをしたい」。頂点に立てば、日本人初の快挙となる。挑戦するに値する価値はある。=敬称略(昌)