次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2013-3-14

体操・相原信行

2013年3月14日

 1956年メルボルン五輪に出場し、体操男子団体総合と種目別徒手(床運動)で銀メダルを獲得した相原信行。続く1960年ローマ五輪は25歳とまさに円熟期を迎えていた。
 1934年12月生まれ。群馬県滝川村(現・高崎市)出身。高崎工高で本格的に体操を始め、日体大に進んだ。大学時代から「派手さはないが、針で突いたほどのミスもない」と評され、日本のエース、小野喬を上回るほどの安定感を誇っていた。体が硬かったという相原。すべては人一倍の努力のたまものだった。
 持ち点9・650のトップで臨んだ種目別徒手。その相原を、チトフ(ソ連=当時)が9・625、メニケリ(イタリア)が9・525、そして小野と三栗崇、スタトニー(チェコスロバキア=当時)の3人が9・500で追いかける展開となった。強豪ひしめく重圧の中も、躍動感あふれ、ミスのないほぼ完璧な演技を見せた相原。演技終了後には会場から称賛の拍手がわき起こり、しばらくの間、鳴り止まないほどだった。4人の審判の評価も全員そろって9・80の高得点。メリケリが9・750、小野ら3選手が9・700と相原に及ばず、快勝で金メダルに輝いた。
 種目別に先立つ団体総合には、小野、相原をはじめ、三栗、遠藤幸雄、鶴見修治、竹本正男の布陣で臨み、初めて強豪のソ連を破って金メダル。この団体総合を制したローマが、五輪と世界選手権を合わせての団体総合10連覇のスタートとなった。
 団体金メダルにも大きく貢献した身長154センチの小柄な努力の人はのちに、「何度体操をやめようと思ったか…。その壁を打ち破る精神力と自信をつけなければ、一人前にはなれない」と語った。やはり世界の頂点に立つには、たゆまぬ努力に支えられた技術と精神力が欠かせないことを示している。
 1964年東京五輪の前年に、ローマ五輪女子団体総合4位の白須俊子(1939年6月生まれ、広島県出身)と結婚。ともに東京五輪出場を目指したが、相原は代表選考会で落選。だが、出場した俊子は夫の分も活躍を演じた。女子団体総合で銅メダル。種目別でも跳馬と段違い平行棒で4位入賞を果たした。
 現役引退後、上武大学教授などを歴任した相原。夫婦で体操クラブも立ち上げるなど、後進の指導に力を尽くす。また息子の豊は1992年バルセロナ五輪に出場し、男子団体総合で銅メダルを獲得した。=敬称略(昌)