次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2012-11-21

サッカー女子・宮間あや

2012年11月21日

 「永遠のサッカー少女」―。こう呼ばれる選手がいる。サッカー女子日本代表・なでしこジャパンを牽引してきた澤穂希から主将のバトンを引き継いだ司令塔、宮間あやだ。2012年夏のロンドン五輪では、4年前の北京五輪でメダルを逃した悔しさを糧にチームを引っ張り、新たな歴史を刻んだ。
五輪で日本女子初となるメダルを確定させた準決勝フランス戦。2得点を演出したのは宮間だった。勝利を告げる試合終了のホイッスルが、サッカーの聖地といわれるウェンブリー競技場に響くと、思わず涙がこぼれ落ちた。「人からモノを言われるのが大嫌い」「人と違うことを求める」と天の邪鬼を公言する宮間の瞳からこぼれた涙には、「サッカー少女」ならではの理由があった。4位に終わった北京から4年、「一緒に泣いて、一緒に笑ってきた仲間とピッチに立てていること、もう一度(決勝の舞台に)立てることがうれしい」。周りを思いやる、こうした姿勢がチームから絶大な信頼を寄せられる源でもある。気配りはともにピッチに立ったライバルたちにも及ぶ。フランス戦後、宮間は敗戦に打ちひしがれるフランス選手に歩み寄り、肩を抱いて健闘をたたえた。
1985年1月、生まれ。千葉県大網白里町出身。同町立白里中学を経て県立幕張総合高校卒。小学6年の時には中学1年の男子チームのメンバーとして大会に出場。その後、日テレに進むが、自宅から練習場までが遠く、高校2年で退団し、ただ一人の女子部員として高校の男子サッカー部入りした。ただ男子チームに女子を登録することが認められておらず、そのままでは公式戦に出られないこともあって、岡山湯郷ベルの第1期生として入団。サッカーが好きでたまらないからこそ、活躍の場を切り開いていった。所属する岡山湯郷ベルとプロ契約する前には、岡山県美作市の旅館でふろ掃除のアルバイトもこなしたほどだ。2009年には米国のプロチームに移籍。2010年9月に岡山湯郷に復帰するまで、欧米の一流選手と交流を重ね、技を磨いた。正確無比なパスやフリーキック、視野の広さと中盤ならどこでもこなせる器用さは、そうした努力と経験を経て磨かれたものだ。
磨かれた持ち味は、なでしこが頂点に立った2011年W杯ドイツ大会でも何度も好機を演出し、ロンドン五輪でも光を放った。五輪決勝は、前年W杯と同じ米国との対戦。1-2で敗れはしたが、後半18分のゴールを生む起点となったのは宮間だった。
 高校2年まで在籍した日テレでは、誰よりも遅くまで残ってボールを追っていたという。その姿は27歳で迎えたロンドン五輪でも変わらなかった。ボールを追う場所が、どこであろうが、サッカーができる喜びに変わりはない。だから、米国に敗れて銀メダルを首に掛けたときも、弾けるように笑えた。今後も納得がいくまでボールを追い続けていく。=敬称略(昌)