次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2012-10-25

なでしこジャパン・沢穂希

2012年10月25日

 「やりきりましたし、走りきりました」。こう語った沢穂希の表情に笑みが広がった。2012年8月、ロンドン五輪サッカー女子決勝。米国と対戦した日本代表・なでしこジャパンは1-2で惜しくも敗れた。前年のワールドカップ(W杯)からの連覇はならなかったが、言葉通り、納得のいくゲームだった。
 サッカーの聖地、ウェンブリー競技場が沢にとって集大成の地となった。1986年、東京都府中市府中第六小学校の校庭で、男子に交じってボールを追いかけ始めたのは小学2年のとき、兄の後を追ってのことだった。週5日の練習に週末は遠征。ひたむきな努力で、才能は開花していった。女子選手はほとんどいない時代。小学5年で迎えた全国大会では、前例がないとして出場が認められなかった。まだ時代が沢に追いついていなかった。だが、それでもサッカーを諦めなかった。
 15歳で代表デビュー。五輪には1996年アトランタ大会で初出場し、以降、代表チームを牽引し続けてきた。「苦しいときは、私の背中を見て」。ベスト4進出を果たした2008年北京五輪のときには、こう言ってチームを鼓舞した。
 五輪の重み、勝つことの意味を誰よりも知る。2000年シドニー五輪では出場権を逃したことで、女子サッカーは低迷。女子サッカー人気を、そして競技環境を整えるためには勝つことが何よりも必要だった。その思いが結実したのが2011年W杯ドイツ大会。決勝はロンドン五輪と同じく米国が相手だった。延長後半12分、1-2から貴重な同点ゴールを決めた沢。この同点弾で2-2とし、PK戦を制して初優勝を果たした。このドイツ大会で沢は5得点を挙げ、得点王とMVPを獲得。翌年1月にはFIFA女子最優秀選手にも輝いた。
 ただ、W杯後の「なでしこブーム」のすさまじさは、強靱な沢のメンタルをも揺さぶった。ストレスが原因のめまい症に見舞われ、一時は戦線離脱。世界の頂点を見せてくれた「サッカーの神様」が五輪イヤーに与えた試練となったが、しっかりと乗り越えて見せた。
 1978年9月生まれ。府中のグラウンドで、夢中になってボールを追い掛け始めてから26年。ロンドン五輪決勝を終え、「最高の舞台で、最高の仲間とともに、最高の相手と戦えるのは今までになかった」と語った沢は「金メダルが欲しかったが、チーム全員でやりきった結果。悔いはない」とうなずいた。=敬称略(昌)