次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2012-10-15

プロ野球・金本知憲

2012年10月15日

 「鉄人」と呼ばれたプロ野球選手が2012年シーズンを最後に、ユニホームを脱いだ。1492試合連続フルイニング出場の世界記録を打ち立てた阪神の外野手、金本知憲。引退試合となった今季最終戦、10月9日のDeNA戦では全盛期の定位置だった「4番・左翼」で出場し、4打数1安打。そして九回2死、最後の打者の飛球は、この日の主役である金本のグラブに収まった。「まさかのまさか。簡単な打球で良かったよ」。表情には茶目っけのある笑みが浮かんだ。
 長嶋茂雄(巨人)にあと「1」と迫っていた打点を挙げることはできなかったが、44歳の果敢な走塁が超満員の甲子園球場を沸かせた。六回に中前打を放つと、初球にすかさず二盗を決め、盗塁のセ・リーグ最年長記録を更新。「後輩に教えられることがあるとすれば、常に全力でプレーすること」と語り、プロ野球記録の1002打席連続無併殺を誇りとする金本らしい姿だった。
 1968年4月3日生まれ、広島県出身。広島・広陵高から東北福祉大をへて、92年にドラフト4位で広島に入団した。身長180cmで、体重は78kg。プロ野球選手としては細身で、即戦力として期待された“エリート”ではなかった。自らも「(入団後)最初の3年間はずっと2軍で、練習にもついていけず、いつクビになるかときつかった」と振り返る。だが、「努力の天才だった」(当時の広島守備走塁コーチの高代延博氏)。徹底した筋力トレーニングで肉体を鍛え上げ、無理をして食事を口に運ぶことで、”筋肉の鎧”に覆われた90kg近い体を作り上げていった。当時、まだ少なかった給料の中から、トレーニングジムに通う費用を捻出し、午前中にジムで筋トレをしてから、球場で特打ちをする日々。打撃練習ではあまりの練習量に、打撃投手の制球が乱れ、金本の体にしばしば球が当たったほどだったという。1999年4月24日にはサイクル安打を達成。リーグを代表する強打者へと成長し、フリーエージェントで2003年に阪神へ移籍すると、2004年に打点王、05年には最優秀選手にも輝いた。

 だが、故障には勝てなかった。「本当ならグラウンドに立つことも不可能だった」と話す右肩の故障と戦い続けたこの3年間は「悔しいし、情けなかった」という。試合のない月曜日はリハビリに努め、調子が落ち込めば、休日返上でバットを振った。そんな努力の人は後輩に対し「もっと(バットを)振っておけば…という悔いは残してほしくない」と訴える。だから自身が最も誇りとするのは「(1002打席)連続無併殺記録。打率が下がるところで全力で走って、ゲッツーにならなかった。内野安打にならないところで全力プレーし、フルイニング記録よりも誇りに思う」。自らの姿勢を通して「(困難に)立ち向かっていくことはアピールできた」と唇を弾き結んだ鉄人は、「10歳から(野球を)始めて、7割8割はしんどいことで、2割3割の喜びや充実感しかなかったが、でもその2割3割を追い続けて、7割8割を苦しむ。そんな野球人生でした」と結んだ=敬称略(昌)