次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2012-9-26

柔道・吉田秀彦

2012年9月26日

 得意の内股は相手がいくら警戒しようと関係なかった。バルセロナ五輪柔道78kg級決勝。十分な組み手から左足を跳ね上げると、米国選手の体は軽々と宙を舞った。
 日本勢ではロサンゼルス五輪の山下泰裕以来となる史上4人目の全試合(6試合)一本勝ち。圧倒的な技の切れで世界一となった吉田秀彦は両拳を天に突き上げ、涙にくれた。「これは現実なのか」。それまでの逆境を振り返ると、とても信じられなかった。
 22歳の新鋭は初めて五輪代表に選出された後、5月末の試合で左足首を捻挫してしまう。直前の強化合宿ではほとんど本格的な練習ができず、上半身の筋力トレーニングなどに専念せざるを得なかった。吉村和郎コーチが「怪我だけでなく、内臓を壊したこともあった。二重のショックでね。五輪に出られるか不安になった」と言う程のどん底をさまよった。
 吉田を苦しめたのは自身の怪我だけではなかった。もう一つは敬愛する先輩・古賀稔彦の怪我である。
 現地入りした吉田は五輪本番を10日後に控え、古賀と稽古していた。コーチ陣には、調整が遅れている吉田の気力を上向かせようとの目論見があったのだが、その最中、古賀が左膝を痛めてしまう。「ポックンという靱帯が切れる音がしたんです」と吉田。凍り付くような嫌な音は、畳に倒れ込んだ古賀の悲鳴とともに耳の奥にこびりついた。
 吉田は中学3年の春、愛知・大府市から東京の柔道私塾「講堂学舎」に飛び込んだ。そこに2学年上の古賀がいた。以来、付き人に付き、同部屋で過ごし、文字通り寝食を共にしてきた仲だった。
 信頼し合う者同士だからこそ、激しい稽古となり、起きてしまったアクシデント。とはいえ、金メダル確実と言われた“日本のエース”が、満足に歩くことさえできない危機に立たされたことは紛れもない事実だった。口さがない外野の非難は、すぐ人づてに聞こえてきた。
 「すみません」と頭を下げる吉田を、古賀は「気にするな」と励ました。重苦しい負い目の中で、一本気な吉田は自身にノルマを課す。「金メダル獲得」。続いて出場する古賀に弾みがつけば、と考えてのことだった。そして、集中力を研ぎ澄まし、見事、金メダルを掴んでみせた。
 「早く古賀先輩に『勝ちました』と報告したい」
 試合後、絞り出した声には、苦悩の大きさがにじんでいた。=敬称略(志)