次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2012-9-19

レスリング・小原日登美

2012年9月19日

 日の丸を背に大きく掲げ、あふれる涙をそのままに、スタンドの声援に応えた。2012年ロンドン五輪レスリング女子48kg級。31歳の小原(旧姓・坂本)日登美は「勝っても負けても引退」と決めて臨んだ初の五輪を、優勝という最高の結末で飾った。
 51kg級時代を含めて世界選手権を8度も制しているベテランだが、五輪の舞台とは縁遠かった。レスリング女子が正式種目に決まったのは2001年。その前年の2000年と01年の世界選手権で51kg級を2連覇した小原は、五輪を見据えて悩んだ。採用されたのが48、55、63、72kg級の4階級だったからだ。48kg級に落とせば妹の真喜子がいる。55kg級を選ばざるを得なかった。02年の全日本選手権。女王・吉田沙保里に挑んだ。どこまで迫れるか…思いは無残にも打ち砕かれた。完敗、あっという間のフォール負けだった。落ち込んだ気持ちを引きずったまま帰郷。いつしか自宅に引き籠もり、うつ病に。過食で体重も70kgを超えた。
 青森県八戸市出身。小学3年で競技を始め、高校3年で全国大会に優勝。中京女子大(現・至学館大)2年のときには世界選手権51kg級を制した。頂点を知るからこそ、“闇”もまた濃く深かった。「強くない自分には価値はない」。どうしてもこの思いが脳裏を離れない。そんな小原を家族は支えた。母は仕事を休み、付き添った。父も睡眠時間を削ってジョギングなどに連れ出した。徐々に平静さを取り戻し、再起を果たす。そして07年に再び55kg級に挑戦。だが、このときも壁を破ることはできなかった。北京五輪出場の夢は潰え、08年に再び引退。コーチとして妹を支えた。だが、妹も五輪に出場できずに引退を決意。このとき「お姉ちゃんに(五輪への)夢を引き継いで欲しい」と訴えかけられ、09年12月に再び現役に復帰した。選んだのは48kg級だった。翌10年と11年の世界選手権を48kg級で2連覇し、満を持して挑んだ五輪、それがロンドンだった。
 気迫に満ちた表情で初戦から勝ち上がっていく小原。スタンドには、苦しいときを支えてくれた両親、妹の真喜子、そして10年に結婚した元選手でもある夫の姿があった。そして迎えた決勝。相手は北京銅メダルのマリア・スタドニク(アゼルバイジャン)。第1ピリオドは、開始20秒でいきなり1ポイントを奪われ、1分40秒にはローリングなどで3ポイントを取られ落とす。しかし、第2ピリオドを取ってタイに持ち込むと、第3ピリオドは、17秒に足を取って場外に出し1ポイント。48秒にはバックに回り1ポイントを追加し、そのまま逃げ切った。勝利の瞬間、小原は両手を天に突き上げた。両ひざをつき、マットを叩いて歓喜した。涙が自然とあふれ出ていた。まさにどん底をくぐり抜けてつかんだ悲願の金メダルだった。
 試合後、改めて引退を表明した小原。今後を尋ねられると、「家族や主人に支えられ、これまで主婦業をサボっていた。主人にご飯をつくってあげたい。妹とは“ママ友”になりたい」と語った。そのはにかんだ笑顔には、長かった挑戦の日々を終え、ホッとしたような思いものぞいていた。=敬称略(昌)