テニス・錦織圭
2012年8月27日
日本が五輪で初めてメダルを獲得したのは1920年アントワープ五輪の男子テニスでのことだった。シングルスの熊谷一弥、ダブルスの熊谷と柏尾誠一郎組がともに銀メダル。以来、メダルに届いていないが、「テニスの聖地」といわれるウィンブルドンを会場に行われたロンドン五輪で、久しぶりにテニスでの活躍が話題を呼んだ。錦織圭が男子シングルスで88年ぶりにベスト8に進出。昨年のスイス室内で当時の世界ランキング1位のジョコビッチ(セビリア)を下したのに続く快挙だった。
準々決勝では世界ランク9位のデルポトロ(アルゼンチン)にストレート負けを喫したとはいえ、第2セットはタイブレークに持ち込み、1―4から3連続ポイントで追い付くなど、聖地の観客を大いに沸かせた。92年ぶりのベスト4はならなかったが、「日本を背負って戦う思いが強い」という4年に1度の舞台で成長の軌跡をしっかりと見せた。だからだろう。敗戦にも錦織は「今はやっぱり悔しいけど、うれしい気持ちもある」と話した。
1989年12月、島根県出身。5歳でテニスを始め、13歳でプロを目指して単身渡米。米国の有名なテニス学校に入学した。少年にとっては言葉も通じない異国。苦労は想像に難くない。だが、「強くなりたい」という一念が自身を支えた。コーチから「休むことも練習のうち」といわれると、その言葉を信じて1日中ベッドの上で寝ていたこともあったという。そんな人一倍の努力もあって5年前にプロに。そして迎えた前回北京五輪だったが、当時はまだ世界ランクも低く、推薦での出場だった。
初の五輪の舞台は1回戦敗退。それから4年。この間、着実に成長を続けてきた。もちろん順調なことばかりではなかった。右ひじを痛め、約1年間も試合に出られないという苦しい時期もあったが、復活。今年1月には、四大大会の1つ、全豪オープンで初めてベスト8まで勝ち上がる活躍を演じた。だが、再び故障に泣く。4月に腹筋を痛め、一時休養を余儀なくされたのだ。だからロンドンは体力や試合勘に不安を抱えての大舞台だった。
それでも北京の時と比べて「自信がついてきているのを感じる」と錦織。実際、ベスト8進出を決めた3回戦は、世界ランク5位で第4シードのフェレール(スペイン)を破ってのことだった。
まだ22歳。「4年後はまだ考えられないが、もっともっと強くなってメダルを狙える力をつけていきたい」と誓った。3度目の五輪となるリオデジャネイロではさらなる進化を遂げているに違いない。=敬称略(昌)