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2012-6-26

レスリング・柳田英明

2012年6月26日

 パワーあふれる果敢な攻撃ぶりから「アニマル」と呼ばれ、1964年東京五輪で金メダルに輝いた渡辺長武を彷彿とさせるだけの強さを備えていたからこそ、「アニマル2世」とも称されたのが柳田英明だった。

 1947年1月1日生まれ、秋田県出身。秋田商業高から明大に進み、全日本選手権ではフリースタイル57kg級を1968年から5連覇と、圧倒的な強さを誇った。国内ばかりではない。70年世界選手権を制すと、同年のアジア大会、翌年の世界選手権、さらに72年の全米オープン選手権と優勝を重ねた。

 そして迎えた72年ミュンヘン五輪。周囲は当然のように、金メダルを確実視した。この当時、日本レスリング界は最盛期を迎えていた。東京五輪で5個、続く68年メキシコ五輪で4個の金メダルを獲得。五輪を迎える度に、そうした躍進を支えるエースが次々と現れた。東京五輪では渡辺、メキシコ五輪は金子正明、そしてミュンヘンでは柳田が絶対的なエースだった。

 勝って当然と思われて臨む試合ほど、重圧の大きいものはない。そんな状況で五輪に臨みながらの快勝劇。てこずったのは4回戦だけだった。米国のサンダースと第1ラウンドこそ互角の戦いとなったが、第2ラウンド以降はスピードと技で圧倒して判定勝ち。翌日、7戦7勝としたところで決勝リーグを待たずに優勝を決めてしまった。もっとも減量のために1週間前から昼と夜の食事は取らず、金メダルまでの3日間はジュースしか飲んでいなかったという。階級制の格闘技には付き物ではあるが、そうした減量の苦しみに打ち克っての栄冠でもあった。

 周囲の重圧をものともしなかった柳田らしい逸話が残っている。猛者達が集う五輪。そのウォーミングアップ場で、柳田は大いびきをかいて眠りこけていたというのだ。外国勢はその姿を見て、度胸の良さに驚がくしたという。

 日本にとっては “お家芸” とまで呼ばれるレスリング。ミュンヘンでは東京、メキシコ以上の活躍を期した日本だったが、結局、頂点に立てたのは柳田とフリースタイル52kg級の加藤喜代美の2人だけだった。日本が得意とした軽中量級でも海外勢の巻き返しは始まっていた。=敬称略(昌)