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2012-5-21

プロ野球・山本昌

2012年5月21日

 堂々たる復活のマウンドだった。2012年4月15日、甲子園球場で行われた阪神戦。先発した中日の山本昌(本名・山本昌広)が8回無失点の好投で、シーズン初白星を挙げた。46歳8カ月でつかんだ一昨年9月以来の勝利は、浜崎真二(阪急)の最年長先発勝利のプロ野球記録を64年ぶりに更新し、さらに工藤公康(横浜)がマークした最年長勝利のセ・リーグ記録も塗り替える快挙でもあった。

 プロ29年目。ここまで決して順風満帆だった訳ではない。実際、昨年は1軍ばかりか、2軍でも登板なし。昨年2月の沖縄での2軍キャンプで、ノックを受けた際に右足を痛めたからだった。右足首の脱臼。シーズンが始まっても状態はよくならず、9月には手術を受けた。苦しい日々が続く。年齢からいって「引退」の二文字も脳裏を過ぎったに違いない。それでも諦めなかった。2008年に同じ足首の手術を受けたサッカーのJ1名古屋のGK楢崎正剛に、つてを頼ってリハビリ方法などを聞いた。術後は、焦る気持ちを抑えて慎重にリハビリを重ねた。「試合に投げられないのが、一番つらかった」と山本昌。甲子園でのシーズン初勝利は、苦闘を乗り越えての復活のマウンドだった。

 神奈川・日大藤沢高時代に甲子園出場はない。1984年にドラフト5位で中日に入団後、初勝利を手にしたのも5年目の88年だった。決して誰もが注目する “エリート選手” ではなかった。そんな山本昌が飛躍のきっかけをつかんだのは同年春の米国留学だった。右打者の外角に沈むスクリューボールを習得し、投球の幅がグンと広がった。

 記録達成の舞台となった阪神戦での最速は136km/h。それでも巧みな投球術で阪神打線を幻惑し、二回から七回までは走者を1人も許さなかった。一貫して制球重視のスタイルで、若いころから球速も130km/h台半ばのままだ。「諦めずに、頑張ってきてよかった」と振り返った言葉には実感がこもった。

 これまでに最多勝3度、最優秀防御率も1度、94年には沢村賞にも輝いた。地道にこつこつと白星を積み重ね、06年には無安打無得点試合を、08年には通算200勝をともに史上最年長で達成した。4月30日には2012年シーズンで2勝目を挙げ、杉下茂が中日時代にマークした211勝を抜き、球団最多記録となる通算212勝目も飾った。4月19日に父親を亡くした。本拠地で挙げた212勝目は、父に捧げる白星ともなった。「勝てばいい報告ができると思っていた。応援してくれたと思う…」。努力を重ね、壁を乗り越え、息の長い現役生活を送る山本昌。復活を遂げた姿をみると、浜崎が持つ最年長勝利のプロ野球記録、48歳4カ月の更新も決して夢ではなさそうだ。=敬称略(昌)