次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2012-4-10

レスリング・上武洋次郎

2012年4月10日

 国際大会未経験ながら、レスリングで五輪王者となったいわば「秘密兵器」、それが上武洋次郎だった。1941年1月、生まれ。群馬県立館林高でレスリングを始め、早大に進学。早大2年のときに、メルボルン五輪で笹原正三のライバルだったローデリック・コーチに誘われて渡米。オクラホマ州立大に留学した。
 オクラホマ州立大時代の1964年の全日本選手権フリースタイル・バンタム級で優勝し、同年の東京五輪代表に。それまでは世界選手権もアジア大会にも出場したことはなかったが、米国仕込みのスピードある技に、豊富な練習量が強さを支えた。
 10月14日、勝ち上がって迎えた決勝リーグの初戦、相手は前年の世界選手権覇者、イブラギモフ(ソ連・当時)。前半は互いにノーポイントで、勝負は後半に持ち込まれ、苦戦の末に勝った上武だったが、アクシデントに見舞われた。この試合で、左肩を脱臼してしまったのだ。それでも「ここで負けたらつまらん」と自らを鼓舞。というのも同じ日に行われたフライ級で吉田義勝、フェザー級では渡辺長武がすでに金メダルを獲得していただけに、負けるわけにはいかなかった。
 決勝の相手はアクバシュ(トルコ)。ここで再び左肩が外れて半脱きゅう。もちろん防戦一方となり、1ポイントリードされて終盤を迎えたが、最後のチャンスに捨て身のタックルを左足に決めた。そのタックルからバックをとって逆転に成功すると、駒沢体育館の観客は総立ちになって上武に声援を送った。
 試合後、「目標を失ったな。今後どう生きるか…」と話したという上武。だが、金メダルストーリーは4年後も続く。1964年〜66年にかけて全米学生選手権(NCAA)で優勝を果たし、後に全米学生レスリングの1960年代のベストレスラーにも選ばれるほどの活躍を演じた。そして迎えた1968年のメキシコ五輪では、4回戦で東京五輪のときから1階級上げてきた強豪のアリエフ(ソ連・当時)に引き分け、続く5回戦でインドの選手に判定で勝ち、6回戦は不戦勝。イランの選手と対戦した7回戦では、脱きゅう癖が出て何度もリードを許す苦しい展開を強いられたが、何とか引き分けに持ち込んで五輪2連覇を達成した。左肩をギブスで固めて表彰台に上がった上武は「腕の一本なくてもどこまでもいってやると、思っていた。もうレスリングはできないと思う」。言葉通り、すべてを出し切った上武に、勝利の女神がほほ笑んでくれたようだった。=敬称略(昌)