次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2012-3-26

レスリング・渡辺長武

2012年3月26日

 パワーあふれる果敢な攻撃ぶりから「アニマル」と呼ばれ、さらには技の正確さから「スイス時計」とも評された日本レスリング史上最強とも言われる選手がいる。フリースタイルフェザー級の猛者、渡辺長武。1940年10月生まれ、北海道和寒町出身。北海道士別高校から中央大に進学した青年の名が世界に一層、轟いたのは1962年、中央大4年のときに特別参加した全米選手権でのことだった。前年のソ連(当時)、欧州遠征でも全勝していた渡辺は、米国でもその強さを遺憾なく発揮する。最短で20秒、合計でも10分もかけずに全6試合をフォール勝ちしたというのだから、その驚異的な強さが伺える。このとき、現地の新聞が「あの強さは人間じゃない、アニマルだ」と報じたという。異名の誕生だった。その後も同年の世界選手権、アジア大会、翌1963年の日ソ対抗戦、世界選手権と快進撃は続き、迎えた1964年東京五輪では、もちろん金メダルを確実視されるほどの存在だった。
 ただし、勝つことを宿命づけられていただけに、重圧も大きかった。ただ勝つだけでなく、「ねじ伏せてフォール勝ちしなければ…」という思いもあったという。それでも順当に勝ち上がっていった。1回戦のモンゴル選手には、まるで汗もかかずに1分12秒で体固め。こうして好スタートを切ると、3回戦までは無失点。4回戦は判定で勝ち、5回戦ではブルガリアの選手に危なげなく勝利し、決勝へと駒を進めていった。
 決勝の相手はソ連のノダル・ホワシビリ。何とか隙を突こうとする相手に対し、渡辺はあくまでも冷静だった。攻めは慎重で決して無理はしない。それでいて相手を着実に追い詰めていった。結果は期待に応える金メダル、実に168連勝目、世界選手権と合わせて3年連続で世界一の座につくという快挙は、この大会でレスリング2個目の金メダルとなった。前回、ローマ五輪では金メダルゼロに終わっていた日本。それだけに捲土重来を期して指導者や選手らが一丸となって強化に邁進し、この東京五輪で5つの金メダルを獲得してみせた。
 その後、電通に就職した渡辺は1970年の全日本選手権で1勝を挙げて以降、長く試合から離れていたが、1987年に現役復帰。24年ぶりとなるソウル五輪を目指して全日本社会人選手権に出場したが、さすがの「アニマル」そして「スイス時計」も46歳。2回戦までは勝ち上がったものの、17年ぶりの公式戦は3回戦で敗退。このときに止まった連勝記録は189だった。
 その後もレスリングに親しみ、マスターズ世界選手権などにも出場し、2004年にはスポーツ振興の分野で紫綬褒章を受賞した。=敬称略(昌)