次世代に伝えるスポーツ物語一覧

2012-2-17

ゴルフ・杉原輝雄

2012年2月17日

 50年以上に渡って現役を続け、”ゴルフ界のドン” として親しまれた杉原輝雄。その人生は、まさにゴルフ一筋といった歩みだった。
プロ入りは1957年。以来、160cmと小柄な体格を、正確なショットとパットで補ってプロ通算63勝(海外1勝、シニア6勝含む)を挙げた。1998年には前立腺がんであることを公表したが、「ゴルフをする時間がなくなる」と手術を拒み、投薬治療を続けた。2008年にはリンパ節へ転移。それでも放射線治療を受けながら、「生涯現役」という思いを貫いた。

 ゴルフ界に足を踏み入れたのは偶然のたまものだったという。1937年大阪府に3人兄弟の末っ子として誕生した杉原少年は、小学校5年のとき、キャディをしていた先輩に自宅近くの大阪・茨木CCに連れられていき、バックを担いだ。これがゴルフとの出会いだったという。以来、茨木CCでアルバイトをしながら、「ゴルファーになってお金を稼ぐ」という思いを育んでいった。
 人一倍の思いは通じた。中学卒業後は定時制高校に通いながら茨木CCの洗濯係として働く日々。そうした下積みを経て20歳でプロテスト合格を果たした。もちろんプロは甘くはない。プロテスト合格の翌年の1958年、関西オープンでデビューを果たしたが、失格。体格に恵まれていないだけに、さらなる努力が始まった。練習量の多さと、長尺ドライバーを取り入れるなどの工夫はまさに人一倍で、決して諦めないプレースタイルは「マムシ」との異名を取った。

 苦労を知るだけに、人望も厚かった。1984年に創設された選手会の初代会長を務めるなど、ゴルフ界の発展に尽力。ファンやスポンサーがあってはじめて選手はプレーできると、ことあるごとに語っていたといい、選手の服装の乱れなどにも注意を促すなどゴルフ界のご意見番でもあった。
 病気ばかりでなく、故障との闘いも数多く、腱鞘炎やぎっくり腰、肋骨にひびが入って棄権したことも。また加齢による筋力の衰えを補おうと、加圧トレーニングをいち早く取り入れるなど、諦めない姿勢は随所に見られた。そうした努力に支えられ、2006年のつるやオープンでは68歳の最年長予選通過記録を樹立。2010年の中日クラウンズでは、同一大会51回連続出場を達成し、世界新記録となった。
 2011年12月28日、74歳で死去。翌年2月に行なわれたお別れの会には選手、関係者約700人が参列し、69歳の青木功は「死ぬまで現役という杉原さんの遺志を継いでいきたい」と語るなど、生涯現役を貫いた大ベテランの死を悼んだ。=敬称略(昌)