『毎試合改善』でトップを目指す!
年内の日程を終え年明け2月までブレイク期間に入る日本ハンドボールリーグ。今季から男子チームの熱い戦いに初参戦したのが「トヨタ自動車東日本REGAROSSO」です。今年7月、トヨタ自動車東日本株式会社の発足に伴い、旧セントラル自動車株式会社ハンドボール部を母体に誕生したこのチームを率いるのは、大崎電気工業や日本代表チームで活躍した名プレーヤー、中川善雄さん。今季から日本リーグに復帰した背番号11番の選手でもある中川監督にお話をうかがいました。
Q : 今年新加盟のトヨタ自動車東日本REGAROSSOですが、中川監督から見てどんなチームですか?
A:0からのチームだと思っています。これまで同好会的なチームでしたので、新しい選手が集まったチームを作るというよりも、従来の在り方を変えて行くスピード感が必要です。一勝しましたし、初戦よりもよくなってはいるのですが、試合にどうやって勝つかというゲーム運び、ゲーム構成にまだ課題があります。シュートが決まって楽しいという大学生的なレベルではだめで、「核」というものが必要です。最近では下位のチームとはいい試合ができるようになってきましたが、上位チームとはまだまだです。1から100まで伝えないとスピード感を持ってやれないな、と思っています。 ただ、会社発足の関係で練習に出られなかった選手も、10月からは出られるようになったので、質の高い練習を心がけています。私は「毎試合改善」という言葉を使っているんですが、毎回ビデオを撮って、課題を何点かに絞って選手たちに伝えています。それをしっかり理解して問題意識を持って練習できる選手は、試合でもいいパフォーマンスを見せています。
Q : トヨタ自動車東日本REGAROSSOが東日本大震災の被災地である宮城県にあることの意味をどうとらえていますか?
A:宮城県だけでなく岩手県も福島県も大きな被害を受けました。会社自体が「東北を基盤に、世界一の魅力あるコンパクトカーをお届けします」と謳っているように、私たちも東北全県にパワーを与えられるようなチームになりたいです。東北の皆さんと一緒に成長していこうと選手には常々伝えています。
Q : 現在、チームとして地域のために活動していることはありますか?
A:7月に会社が発足したばかりで、まだ練習環境も整っていないので、なかなか活動できないでいるんですが、地域貢献活動は今後も続けて行きます。最近も、ハンドボールをやっている中学生向けに指導会を行いました。また昨今、子供たちの体力低下が顕著なので、一日先生のような形で選手が学校に行くことで、リアリティのある指導ができると思っています。ハンドボールだけでなくスポーツの魅力を広く知らしめるには、選手自身がもっと足を運ばないといけないと思っています。
Q : ところで中川監督が初めてハンドボールと接したのはいつ頃ですか?
A:小学生の時です。夏はハンドボール、冬はサッカーといった色々な競技をやるクラブ活動で初めてやったのですが、楽しかったですね。中学では野球をやっていましたが、高校(九州学院高校)から本格的にハンドボールを始めました。どんな競技でも出会ったスポーツが楽しければいいんですよ。楽しいと思うスポーツを続けることが人格形成の上でも一番いいと思います。僕の場合はそれがたまたまハンドボールだったわけです。
Q : 現役時代、競技の中で一番印象に残っていることは何ですか?
A:大学(中央大学)を卒業後、三陽商会に入ったわけですが、想像していた以上に仕事が多かったので、平日は仕事が終わって19時から練習、休みの日は試合という生活でした。なかなかきつかったですけど仕事を言い訳にしたくなかったので、練習に行けない時には自分でトレーニングしていました。 大崎電気に移ってからは、それまで全国大会での優勝経験がなかったので、初めて優勝した時のことはよく覚えています。それから、代表選手として出場したアテネオリンピックアジア予選、韓国と引き分けた試合も印象に残っていますね。(ずっと負けていた)韓国に20数年ぶりに引き分けて、ここまでやれるんだなあという思いと、あと1点取れば勝てたという悔しさと、複雑なものがありました。やはりオリンピックでメダルを取るぐらいの目標を持たないと、日本のボールゲームは難しいと思います。例えば韓国のハンドボール選手はプロですが、日本は企業チーム中心。でもそれを言い訳にはしたくない。企業チームであっても、現役の時には競技のことを考える時間がもっと欲しいし、そのかわり引退後には必ず会社に貢献する、といった形が望ましいと思います。
Q : 中川監督は現役を退いてから、NPO法人と会社を設立なさいました。(NPO法人シュータススポーツラボラトリ、株式会社Sports&Works) JTLの「ボールであそぼう」マイスターでもいらっしゃるわけですが、そうした活動を通して実現したいことは何ですか?
A:今は会社のことは他のメンバーに任せていますが、会社を作った理由は、競技者はプレイするだけではなく、スポーツを文化にするところまで関わらなければいけないという思いからです。代表選手の時、ヨーロッパのスポーツ文化のレベルの高さを実感しました。例えばドイツのオリンピック強化予算は日本の10倍にもなるわけで、日本はまだまだです。選手のセカンドキャリアについても、メダリストだけではなく、すべてのアスリートが活躍する場が必要です。 自分は今監督に専念していますが、優勝という目標を達成しても、自分自身のレベルアップは続けたいし、足取りを止めることなく指導者でありたいですね。そしてハンドボール界の認知とレベルアップ、ひいては、スポーツ自体がもっと社会に必要とされるように、スポーツそのものの向上に関わる人間でありたいと思っています。
Q : トヨタ自動車東日本REGAROSSOの挑戦はまだ始まったばかりですが、今後どんなチームにしていきたいですか?
A:明確に、5年で日本一!という目標を掲げています。そのスピード感で様々なことを早期に改善し、結果を出して行きたいです。そのためには練習時間の確保、積極的なスカウティング、部内で競争できる環境づくり、そして、選手に多くの経験をさせることが必要です。選手にはゲームの中でトップと何が違うかを感じてもらい練習に活かしてほしいと思います。自分で変わろうとして自分で課題を作り自分で積極的に取り組む選手はフォローします。試合をするのは選手本人ですから、こちらから手助けすることはしませんが、いつも扉は開けています。それでも、自分から成長しようとしない選手にはやめてもらってもいい、それ位のプロ意識も伝えて行きたいです。それが僕の言うスピード感です。大崎電気もトップに返り咲くまでには10年以上もかかったのですから、5年で優勝するという目標は非常にハードルが高いのは事実です。ですが、その中で選手も自分も成長できると思っています。そうした意味でも今の立場を与えてもらっていることには感謝したいです。
<中川善雄監督プロフィール>
◯生年月日:1974年8月9日
◯出身:熊本県
◯略歴:
九州学院高校→中央大学→三陽商会(休部)→大崎電気(プロ契約)
NPO法人シュータススポーツラボラトリー設立→株式会社Sports&Works設立
2012シーズンよりトヨタ自動車東日本 監督兼選手
◯主な出場試合:
2002年釜山アジア大会、2003年アテネオリンピックアジア予選(準優勝)
2004年世界選手権、2006年ドーハアジア大会
2007年北京オリンピックアジア予選(準優勝)、
2008年北京オリンピックアジア最終予選再試合(「中東の笛」で話題となった試合)
※日本代表では6年間キャプテンを務める。大崎電気ハンドボール部にて日本一を9度獲得、MVP1回、ベストセブン11回
☆ トヨタ自動車東日本REGAROSSO チーム情報 →日本ハンドボールリーグ公式サイト