スポーツ環境に溢れる情報の分類
日本というスポーツ情報大国。筆者がスペインから日本に帰国すると、いつも日本のスポーツ環境に携わる方々の情報への敏感性には驚かされる。常に新しい情報やコンセプトにアンテナを立てて情報収集に努めることは、日本人の得意分野にも思える。各スポーツにおいて難しいコンセプトを学ぼうとする姿勢には、もちろん敬意を抱く。日本は情報大国であり、それはスポーツ情報の世界でも同じだ。何でも情報にすれば売り物になるし、その情報収集も普遍的な風習に見える。これも一つの文化だろう。
確かに日本ではテレビ、ソーシャルネットワーク、本屋などで、至る所にスポーツ情報が溢れている。ドキュメンタリー、対談形式、新聞、雑誌、デジタル書物から分析情報までいろいろと溢れている。日本はあらゆる街角の本屋でも「代表監督から学ぶフットサルレッスン」、「ラグビー監督の哲学」、「バスケット世界最高峰の攻略方法」など、非常に多くの情報が書籍やDVDとして飛び交っている。そしてそこにある消費意欲が高いのも、情報大国の国民性だろう。
ここで問題提起を行ないたい。スポーツ競技を問わず、大量の情報を取り扱う日本のスポーツの環境は、その情報増加に比例する進化を遂げているか?例えば選手のメンタリティー、指導者の日々の向き合う姿勢、スポーツクラブの環境整備などは、本当に海外からの情報などにより改革されているか?それとも大量に搬入した高級の情報は、ある映画鑑賞のようにマインドの中に散って終わるのか?スポーツにおける刺激情報を消費した後の生活は、以前と何も変わらないままか?
日本だけに限った話ではないが、スポーツ環境や社会全体に「知識を持つ=力を持つ」という認識がある。しかしそれは善悪を決めるエレメントではない。情報が氾濫する時代において、「情報を手に入れる=善」、「情報が少ない=悪」という錯覚に陥ってはならない。今回のコラムでは、まずはスポーツ環境における情報をしっかりと認識するために、情報種類の分別から考察したい。
テレビ、ソーシャルネットワーク、書店、メディアなどでも入手できる情報を3種類に分けてみよう。まずは、①スナックインフォメーション、②コアインフォメーション、③エンピリカルインフォメーション、という分類名称から紹介したい。
スポーツ情報の中で、インターネットやメディア上に最も多くあるのが、このスナックインフォメーションである。スナック=軽食という定義から想像できるだろう。この種類のインフォメーションは最も多く蔓延し、大衆に受けやすく、広告のように出回っている。即効性があるようで、しかし毎日の生活や習慣には何の変化も与えない情報とも表現できる。食事に例えれば、手軽で、安く、美味しいと感じやすいスナック(軽食)に比較される。コーラやポテトチップスのように、安く気軽に食べることができ、美味しいと感じやすく、食欲を一瞬でも満たした感覚を味わえる。ただし健康状態には何のプラスにもならず、生活習慣やメンタリティーを変えることなど不可能なものだ。そのような情報をスナックインフォメーションと定義する。
スナックインフォメーションは、どこでも簡単に手に入り、すぐに何かを学んだ気になれる。情報摂取にともない、何の行動を取る責任も発生しない。このような情報はインターネット、テレビ、書籍にも溢れている。例として、元気の出る話、誰かの凄い話、レジェンドの名言集、有名な指導者の思想書なども、結局は観賞用に終わればアクション映画と同じである。
同時にスナックインフォメーションのポジティブな側面として、「①広く浅い情報へのアンテナ」、「②モチベーションの瞬間的な向上」、「③アイデアの即興性」が挙げられる。様々な種類の情報にアンテナを広げておけば自発的に情報を探すことも可能となる。また簡単に手に入る刺激のため、瞬間的にモチベーションが上がったりすることも期待できる。アイデアなどに欠け苦しんでいる場合にも、このようなスナックインフォメーションが何気ないヒント(即興性)を与えてくれたりもする。
2つ目のタイプの情報を、コアインフォメーションと定義する。問題点などの核心(コア)を突き、何かの変化をもたらすことがコアインフォメーションの特徴だ。しっかりとメッセージ性や主題があるため、受け手(読み手)に内容がしっかり伝わり、何かを実行に移させる可能性が高い。コアインフォメーションは、何かの変化を与える。または受け手に、何ができるかを思考させ、実行に至らせる情報の深さを備えることも条件だ。つまりコアインフォメーションは、スナックインフォメーションのような短絡なアイデア性だけではなく、環境問題への方法論やアプローチを促すことも求められる。
コアインフォメーションは、スナックインフォメーションほど手軽にアクセスできない。または簡単に理解、吸収、実行できるものでもない。コアインフォメーションはメッセージ性が強いため、そこに理解を示す経験や知識がなければ、受け手が情報の利用を放棄することも考えられる。コアインフォメーションには、分析力、方法論へのアプローチ、変化への転換材料、または何かのヒントが含まれている。また受け手の真摯な姿勢も、伝達のためには必須事項となる。研究レポート、ワークショップなどでの交流演説、レベルの高い分析文献などがその例でもある。
3つ目の情報が、実体験に基づくエンピリカルインフォメーションだ。人生に何よりも大きく衝撃を与えるものが、紛れもなく実際の経験だ。そこにしかない最大のインパクトにより得られる情報を、エンピリカルインフォメーションと定義する。スポーツにおいても同様に、真剣勝負からの実体験ベースで蓄積される記憶を、その位置に置く。そこで大切となる問題が、競争環境のレベルである。ここでの競争環境のレベルとは、ゲーム、トレーニング、リーグ、チーム数、地域レベルなどの全てを意味している。成功体験も失敗体験も、真剣勝負のトレーニングや試合でなければ成立しない。スポーツでは真剣勝負の場所がなければ、ハイレベルによる成功体験・失敗体験などは体得できない。つまり強固な競争環境なくして、質の高いエンピリカルインフォメーションの体得は不可能である。
このエンピリカルインフォメーションは実体験に基づくため、最もメッセージ性が強い。競技レベルなどが低いと、この情報は歪曲して成立しない。そのためアクセスが非常に困難という特徴がある。そしてエンピリカルインフォメーションを知識分析、情報整理することも欠かせない。また指導者がこのような実体験情報を紐解くには、コンセプト、方法論、局面認識、トレーニング知識、ゲーム経験など多くのエレメントをマスターする必要がある。どんなにハイレベルな経験のある選手でも、彼らが簡単に指導者として成功できない理由がここにある。コンセプト、方法論、局面認識、トレーニング指導経験などは、指導者として特化したトレーニングからしか習得できない部分もあるからである。
それでは①スナックインフォメーション、②コアインフォメーション、③エンピリカルインフォメーション、という情報分類の優先順位について考えてみたい。そもそも3つの情報に優先順位は存在するのか?また優先順位を定義する必要はあるのか?筆者の皆さんはどう考えられるだろうか?
実際にはスポーツ環境をとりまく情報にも、この3種類の情報バランスが理想的だろう。一見して無益に思えるスナックインフォメーションにも、いくつか有益なポイントはある。スナックインフォメーションによってモチベーションを上げたり、見識を広げたり、アイデアを斬新に保つことも可能となる。もちろんコアインフォメーションによって情報に深みを持たせたり、何かに変化を与えるような情報を模索することは重要きわまりない。そして高いレベルでの挑戦や実体験によって得られるエンピリカルインフォメーションによって、成功体験などを積み重ねながら信念を形成することができる。
スポーツの情報をバランスよく吸収することで、効果的なリフレッシュやアイデア強化の手助けとなる。しかし何事にも目標と信念がなければ、長いスパンでの継続と試行錯誤の繰り返しは困難である。各自がどのようなモチベーションで信念と目標を追いかけるかが、結局は情報活用における最大のポイントとなる。