よりコンプリートなトレーニング発展のために(後半)
前回までのコラムにもあるように、逆境を想定したトレーニングや試合を通してこそ選手は成長する。この『逆境による成長』をもう少し正しく表現してみよう。正しく発展するゲームや、論理的に構築されるトレーニングの中に発生するタクティカル・アクションの素早い連続処理とフィ-ドバックにより、個人戦術の向上スピードと精度は改善される。
その論理的なチャレンジによるタクティカル・アクションの成熟の過程において、『記憶』の蓄積が重要な役割を果たすことをここでは強調したい。いくらインテリジェントな選手に、観察、分析、決断、実行、学習の素早さが備わっていても、それでは十分とは言えない。やはり選手の情報処理能力において、①戦術理解、②集中力、③試合経験などから蓄積される“学習”そして“記憶”とそのインプットが重要だ。概して個人戦術の向上には、経験や学習から生じる『蓄積される記憶』が鍵となる。
先に述べたように、試合やゲームを繰りかえすことで、選手は大部分の戦術局面を体験できる。例えば1対1や2対2、GKとの駆け引きやフィニシュの局面などは、試合やゲームの中から習得することができる。海外の偉大な名選手の少年時代の逸話などでは、ストリートゲームや兄弟との練習などにより、個人戦術や個人技術の本質を習得したりもしている。仮にストリートであっても学校の放課後であっても、対人関係の環境でゲームをできれば、体得できる基礎技術や個人戦術は多くある。ただしトレーニングではないために、学習計画がなく、大切な局面現象を見落としたり、習得のスピードが遅くなる可能性がある。現代のスポーツ環境を考えれば、ゲームの場所は圧倒的に少ない。そのため正しい記憶の蓄積を作り出すために、トレーニングによる学習促進を促したい。
<トップレベルで活躍する人々には、良質の経験と記憶がある>
クラブにおけるトレーニング環境と、記憶の蓄積について考えてみよう。選手にとって正しい記憶の蓄積には、成功体験、失敗からの学習が必要となる。そこには当然ながらストレスをかけた実戦に近いトレーニングの積み重ね、そして試合に出場するチャンスが必要となる。逆に選手が簡単なトレーニングや楽な試合を繰りかえせば、いずれは誤った記憶を持ってしまう。緊張感のある試合や難易度の高いトレーニング、つまりは『チャレンジ』や『逆境』が、正しい成功体験と記憶形成には欠かせない。これは指導者にとっても同じことが要求される。指導者は常にモチベーションを保ちながらも、ポジティブな記憶の蓄積のために高いレベルのトレーニングや試合と触れ合う習慣をつけたい。
<指導者も常に情報を求めて、日常から向上するもの>
選手の記憶の向上について、以下に順序立ててみる。①試合のためにトレーニングを構築する。対戦相手のスカウティング、自分達の前回の試合からのエラーシーンを整理しながら、トレーニングを構築する。②試合を想定したトレーニングを経て、実戦の中で成功・失敗体験を得る。そのためにもトレーニングのインテンシティーは100%を越える必要がある。③試合の中の成功例、失敗例をビデオやデータから検証して情報分析を行なう。④選手に成功例、失敗例をビデオや分析データで伝達することで、感覚の記憶を回避しながら正しい記憶の蓄積を促すサイクルを完成させる。
①ポジティブな記憶とは、正常な成功体験から生まれる
②正常な成功体験とは、逆境での失敗と挑戦から生まれる
③記憶の蓄積とは、試合や難しいトレーニングで助長される
④選手にとって最大の経験は、試合の逆境から学ぶこと
⑤指導者の場合でも、試合体験などから記憶を習得できる
<指導者は情報を交換しながら、選手の成功体験をサポートする>
インテリジェントな選手が、観察、分析、決断、実行、学習の素早さを備えていても、それでは完璧とは言えない。メンタリティーという根底にある部分を忘れてはならない。選手には強靭なメンタリティーが備わっていなければ、いずれ戦術決断や技術動作を高いレベルで実行できなくなる。簡単な状況では解決できても、逆境では力を発揮できないような選手がその例だ。そのため健全なメンタリティー教育を、戦術トレーニングの充実と平行して追及することが育成のポイントとなる。以前のコラムでも言及したが、メンタリティーの3つのポイントは『①真のモチベーション、②高い集中力、③チームスピリッツ』である。
よりコンプリートなトレーニングの発展とは、各選手の個人戦術を引き上げ、集団としてトレーニングや試合を解決できる習慣を作り上げるものだ。そのためにはインテリジェントで個人戦術に長けた選手を育てる必要がある。ボールスポーツにおける知覚認知をベースとした個人戦術は、選手のインテリジェンスと深く関っている。限られた時間内でインテリジェントな選手を育てるためには、確かにインテグラルトレーニングの適用は有効だろう。しかし戦術的トレーニングの向上には、様々な要素を考慮しながらトレーニングの構築に向き合う必要がある。まずは個人戦術を高めるために、タクティカル・アクションと記憶の蓄積を向上させるトレーニングを構築する。そこではインテンシティー、複合性、浸透性などの各自のトレーニング原則を貫く。
またトレーニングの測定数値や作戦ボードには見えないエレメントも、多く存在する。選手そしてチームの『メンタリティー』が、その代表となるエレメントの1つだ。モチべーション、集団意識、知識と情報、社会性、教育背景など、スポーツトレーニングだけでは計測できないメンタリティーがトレーニングに与える影響は計り知れない。現代社会において、そのようなメンタリティーの改善などもコンプリートなトレーニングではカバーする必要がある。そしてやはり緊張感のある試合でしか、本当のパフォーマンスは分析できないのも多くの選手に起こる現象である。