第1話 ピンダロスの賛歌



 スポーツは人々を熱狂させ、感動させてくれるツールである。それは努力を積み重ねたアスリートたちの真摯にたたかうさまが美しいからだろう。スポーツの価値は、彼らのスポーツに向き合う姿勢にかかっているのはもちろんだが、スポーツで得たことを関係者が社会に還元、発信するようになれば、スポーツと距離を置いている人たちも、その価値を理解していくことになるのではないだろうか。

 この連載ではそのような視点で、スポーツを通して社会に向き合ってきた古今東西にわたる人々の行動や思い、それらの社会への影響をえがきたい。

「スポーツのエクセレンス」執筆チーム・リーダー

真田 久




 「慢心を厭(いと)う道をまっすぐ歩み、市民からも外国人からも好意をもって敬われるようになしたまえ。」

 これはオリンピックのボクシングで優勝したアスリートに贈られた詩人の賛辞。慢心することなく、そこに住んでいる市民たちからはもちろん、異国からやってきた人たちからも尊敬を集められるような人物であってもらいたい、とうたわれている。

 このアスリートを称えた詩歌は、紀元前464年の作品で、今から2500年以上も前の古代オリンピックの優勝者に献じられた詩だ。時空を超えて現代にうたわれたとしても何ら違和感は感じない。

 この詩をつくった詩人の名前はピンダロス。オリンピアやネメアといった古代の有名な競技祭で優勝したアスリートの偉業を歌い続けた古代ギリシアの詩人。アスリートたちは優勝記念に自身を称える詩歌を金銭を支払って創ってもらった。

 ピンダロスは、詩歌の創作で生計を得ていたのだが、彼の詩の迫力は、そのようなことは微塵も感じさせない。アスリートの功績を美しく称えつつも、その後の人生を慮(おもんばか)るかのように、彼らを教え諭している。

 そこにはギリシア時代のスポーツが、アスリートのみではなく、市民や文化人に支えられて、ともにより良い文化を作っていこうとする息吹が感じられる。

 

 「人が労苦の末、うまく事を成したなら、後の代にまで語り継がれる甘美な賛歌が世に現われ、偉大な功績の保証となる」と詩人はうたいあげている。この詩歌による賞賛は、メダルの寿命よりも長く、そしてアスリートの魂の普遍的なものを描き出そうとしていた。

 例えば、「栄誉が授かったのは、誰よりも数多い食卓で神々をもてなし、祭事を敬けんな心で守っているからだ」「町が平安であるよう浄らかな心で仕える」とうたう。

 競技で優勝するアスリートは気高くなければならなかった。個人の安穏のみならず、住んでいる町が平和であることに尽くす人格の持ち主であった。なぜなら、「一瞬の間に風向きは、ある時はこちらへ、ある時はあちらへと変わるもの」だからである。そして人々の生きざまから、「利は程々に追及せねばならぬ 果たしがたい欲望がもたらす狂気は過酷なのだ」と、警告を発した。

 アスリートは、競技場から一歩離れれば社会の中で一市民として生きていかなければならなかった。どのように社会と関わって生きるかが、つまるところ重要だったのだ。今日とて何ら変わらない鉄則だろう。
 さて、ピンダロスが述べているように、詩歌によるアスリートの賞賛と激励は時空を超えたものである。この連載も、そうした思いでアスリートの魂や彼らの社会との関わりを見つめていきたい。


真田 久

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