日本のスポーツは「縮減」に値する?
国民にとってはブラックボックスだった予算決定の仕組みを公開し、ムダ遣いを徹底的に排除しようという初めての試みを、私も最初は胸のすく思いで眺めていた。しかし、JOCの選手強化事業などへの国の補助金(約27億円)が“縮減”との結論が下されたと知るや、事業仕分けへの思いは一変した。 11月26日付の朝日新聞によれば、スポーツ関連予算の議論に要した時間はたったの30分弱。「リュージュやボブスレーなど日本で普及していない競技にも補助が必要なのか」「文科省は五輪に参加することでなく、メダルを取ることに意義があると考えているのか」といった意見が出たという。今どき「五輪に参加することで満足する国民がどれぐらいいるのか?」とボヤかずにはいられないが、11人の仕分け人のうち9人が「予算縮減」という答えを出した。 スポーツの世界を取材する者の一人としてこの結論にはガックリきた。関係者が「スポーツへの差別だ!」と悔しがった気持ちもよくわかる。だが、11人中9人が出した結論にはそれなりの意味があるはずだ。今の日本のスポーツ界は、一般社会の人々にもわかるような“スポーツの社会的価値”を創出できていないのではないだろうか。 事件から1か月半後、私はニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでNBA開幕戦を観たのだが、この試合も感動的だった。ニューヨーク・ニックスの熱狂的なファンとして知られる映画監督のスパイク・リーが、自分が所有するコートサイドの2席のうちの1席をテロの犠牲者救済基金に寄付する目的でオークションにかけたところ、匿名の人物が10万1300ドル(当時のレートで約1266万円)で落札。さらにこのチケットをテロの犠牲になった消防士の遺児(12歳の少女)にプレゼントしたのである。少女の隣に座ったスパイク・リーが、小型ビデオカメラを片手に彼女に話しかけるシーンが試合以上に印象に残った。
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