『がんばろう神戸』から15年


 この時期になるとテレビや新聞が盛んに報道するせいか、死者6434人、負傷者4万3792人という甚大な被害をもたらした阪神大震災のことが思い出される。早いもので、あれからもう15年の歳月が流れた。
 第2話で、2001年の米同時多発テロ事件直後にアメリカのスポーツ界がどんな社会支援活動を行ったかについて紹介したが、日本でこれに匹敵する例といえば、やはりオリックス・ブルーウェーブ(現・バファローズ)の『がんばろう神戸』だろう。被災した地元市民を勇気づけようと選手たちは『がんばろう神戸』を合言葉に1年間戦い続け、2位に12ゲームもの大差をつけて優勝。市民と球団、選手たちが心を一つにして戦う姿は、野球ファンならずとも多くの感動を呼んだ。

 被災から10年目の2005年、私は95年当時のことを同球団でコミュニティ活動を担当する岡村義和さんに取材する機会を得た。
「最初は『がんばれ神戸』と言っていたんです。でも『がんばれ』では他人事じゃないですか。球団も選手も神戸の皆さんと一緒に頑張るんだということで『がんばろう神戸』になったんです。この合言葉はステッカーにしてオープン戦や開幕戦でお客さんに配りました。オープン戦では選手たちが率先して入場ゲートに立ち、1枚1枚配ってくれたんですよ。自分のクルマに貼っている選手もいましたね」

 被害が大きかった長田地区では避難所生活が長期化するにつれ、子供たちの間でストレスの兆候が認められるようになった。教育委員会からその話を聞いた球団と選手会は、子供たちを球場で遊ばせることを計画。オープン戦の前日に長田地区の小中学生約650人を球場に招待し、選手と一緒に青空の下で野球ゲームやドッジボールを楽しんだ。
「球場に入っている売店の業者さんも“炊き出しをやろう”と一致団結し、カレーやうどん、豚汁をふるまってくれました。思い切り羽を伸ばした子供たちは大喜びでしたよ」
 こうした活動で培ったノウハウは、ブルーウェーブからバファローズに名前を変えた今も、同球団の地道なコミュニティ活動に脈々と受け継がれている。

 阪神大震災では過去最高の1788億円の義援金が集まったといわれるが、災害発生時にまず必要になるのはお金や物資などのハード的な支援である。しかし、プライバシーのない避難所生活が長引いたときに必要になるのは、心を和ませてくれるイベントやストレス発散の場になるスポーツ教室……といったソフト的な支援。とくにスポーツは、この点に関して貢献できることが多々あるはずだ。名前の知られたスポーツ選手が現地に赴いて直接触れ合ってくれれば、被災者はほんの一瞬でも苦しい現実から解放されるし、一生忘れられない思い出になるだろう。

 「最近は社会に貢献して会社の価値を上げる『CSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)』の意識が企業の間に根付いてきましたが、会社(球団)の価値を上げるために社会支援活動をやるのか、市民として当然だからやるのかといえば、市民として当然だからやるのです。価値は後からついてくるものじゃないですか」

 取材の最後にそう語っていた岡村さんの言葉が印象的だった。


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