「山の神」の次に来るもの


 正月恒例の箱根駅伝にまたも「山の神」が現れた。2005年大会で、11人抜きのまさしく神業をみせた今井正人君(順天堂大学)もそう呼ばれていたと思う。さすが“八百万の神”をあがめる日本である。最近、女子学生の勢いに圧倒されるオトコの子がめっきり大学にも増えたせいか、元気な男子学生を見るのは無性に嬉しい。
 箱根駅伝が30%近い視聴率を上げる秘密となると、正月における三が日の在宅率の高さや、他局の番組編成との関係などもあろうが、1972年札幌オリンピックの記録映画や『瀬戸内少年野球団』などの映画作品で知られる篠田正浩監督の解釈がまたユニークである。

 視聴者は、ひたむきな選手の姿を通じ、これからの日本を支える若者を大学がしっかりと育てていると知り、正月早々、日本の将来に希望を抱く。しかも、箱根路を駆けるランナーの遠景にそびえる富士山の映像を通じ、霊峰への巡礼登山を擬似的に体験できる。箱根駅伝を神事に見立てる篠田氏も早稲田大学在学中、箱根の「花の2区」を走っている。

 箱根駅伝は、日本が初めてオリンピックに参加した1912年ストックホルム大会でマラソンを走った、当時東京高等師範学校の学生だった金栗四三が、日本長距離界の強化策として後に考案した。金栗の功績をたたえ、最優秀選手に《金栗杯》が贈られるようになったのは2004年80回記念大会からで、今年の「山の神」柏原竜二君(東洋大2年)は2年連続、8人目の受賞者となる。

 金栗杯の初代は何と、関東学連選抜チームから鐘ヶ江幸治君(現・全日空)が選ばれている。実は、鐘ヶ江君は筆者が勤める筑波大学の当時4年生であり、しかも、箱根の第1回大会では、筑波大の前身である東京高等師範学校が優勝している。学生たちには折に触れて、筑波大学と箱根駅伝の関わりを語るようにしているが、ねらいはもちろん愛校心の醸成にある。国立大学としては最多となる62回出場――これは関東学連加盟135校中第8位――の誇るべき実績をもつことなどを、驚かそうと思って紹介するのだが、学生たちの意外な反応にこちらのほうが驚いてしまう。

「箱根駅伝に国立大学が出場できるんですか?」

 かれらは箱根駅伝を私立大学の対校戦だと思っているのだ。無理もない。国立大学が1994年を最後に姿を消して以来、箱根は完全に私立大学の独壇場となっている。他にも多くの人たちが箱根を私立大学の大会だと誤解しているようなら、競技会としてのこのイベントの価値は目減り状態にあると言えなくもない。逆に言えば、国立大学の出場によって箱根駅伝の価値はさらに高まる可能性があるだろうし、篠田流に言えば、国立大学の学生の姿を通じ視聴者は、国立大学ひいては国に対して多少の好感を寄せることがあるかも知れない。国立大学の箱根駅伝への出場には、当該大学の宣伝を超える効果が期待できるわけである。
 そのうえで、2007年夏の甲子園で県立高校の佐賀北校が優勝した時を思い出し、想像してみるといい。箱根に出場する国立大学は、日本中の国公立大学の在学生や卒業生、その関係者による応援を集められるかも知れない。イベントの価値向上をめざす主催者にとって、有意義なライバルの参戦をうながす大局的見地からの戦略が求められるケースは、箱根駅伝のほかにも存在するのではないだろうか。

嵯峨 寿(さが ひとし)

筑波大学准教授(レジャー・スポーツ産業論)。秋田県生まれ。筑波大学体育専門学群卒業、同大学院修了、(財)余暇開発センター研究員などを経て現職。CSRや社会貢献活動などを通じた企業とアスリートのパートーナーシップが、双方およびスポーツや社会におよぼす効果などを研究。
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