「オリンピックの勝利は金銭によってではなく、足の速さと身体の強さにより得られる」
これは、古代オリンピックが行われたオリンピアの競技場入り口に立てられたゼウス像に刻まれた文である。なぜ、この文が刻まれたのか。それはアスリートの贈賄事件に端を発していた。
紀元前388年に開催された第98回古代オリンピックの祭典で、テッサリア出身のボクサー、エウポロスは5人の相手と対戦することになった。試合の前日、エウポロスは5人に金銭を渡し、わざと負けさせて優勝した。この事件はすぐに発覚してしまい、主催者はエウポロスと対戦相手を含めた6人全員に罰金を科し、その金でゼウスの像6体を競技場の入り口に建てた。金銭を受け取った5人のうち、3人の名前もわかっている。アゲトール(アルカディア出身)、プリュタニス(キジコス出身)、フォルミオ(ハリカルナッソス出身)であった。これらの像の台座に、この事件の顛末(てんまつ)が記され、冒頭にあげた一文とともに次の文も刻まれた。
「エリス人の信仰心により神に捧げられ、違反者の脅威となるようにこの像が建てられた」
これらの像の台座は、今日でもオリンピアの遺跡に行けば見ることができる。さすがに台座に書かれた文字は風化して読めないが、古代の旅行家、パウサニアスという人物がその内容を『ギリシア案内記』(2世紀)という本に書き記している。スポーツに関した不正行為が、この時代に既に存在していたのだ。
さて、この事実をどのようにとらえるか。人間の内面は2500年経ってもさほど進歩していないという、人間のおろかさを示しているとはいえまいか。
その一方で、注目すべきは主催者側の厳格な態度である。ゼウス像に事件の詳細を記して残したことで、その後の選手や関係者の脅威となったであろう。時代を超えて広範に語り継がれ、事件とは何の関わりもない日本人たちにも、こうして不名誉が伝えられてしまうのである。もしもエウポロスの子孫がいたとしたら、恥ずかしくて町を歩けないだろう。これほど重い罰はない。
これ以降も不正事件はしばしば起き、この種のゼウス像は16体になった。 人間とははかないもので、自身に内在する欲望にほんろうされてしまう場合もある。大事なのは、そのような悪事に断固とした警鐘を周囲が発せられるかどうかである。それが社会において、スポーツの健全さを維持し、発展させる事につながるのだろう。古代オリンピックが1200年近く続いたのは、このような仕組みが働いていたからであったと解される。スポーツの祭典を神聖なものであり続けさせるための知恵、それを古代アスリート、エウポロスは皮肉にも語ってくれている。
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