アスリートの恩返し


 カナダ・バンクーバーから寄稿している。バンクーバーにいるのは、もちろん冬季オリンピックを見るためだ。

 現地12日に行われた開会式の前夜、市内某所で、スキーフリースタイルモーグル日本代表の上村愛子選手をサポートする人たちの、ごく内輪の会が開かれた。私も、ご縁があって同席させていただいたのだが、試合2日前とあって上村選手本人の姿はないものの、そこにいる誰もが彼女のメダル獲得を願い、期待に胸を膨らませていた。だが同時に、不安な気持ちも伝わってくる。彼女の努力を身近で支えてきたご家族や、用具を提供するメーカーの皆さんならではの緊張感だ。皆、上村選手と一体である。

 スノーボードハーフパイプの日本代表選手が服装の乱れについて注意を受けた。これをメディアがこぞって取り上げ、騒動は思いのほか大きくなった。いやがおうにも聞こえてくる賛否両論に耳を傾けているうちに、なんだか彼が哀れに思えてきた。彼にだって、支えてくれる人がいるはずだ。その人たちの気持ちを思うと、いたたまれなくなってくる。選手本人もハッピーではないだろう。

 とき同じくして、角界にも前代未聞の騒動が起きた。思うに、どちらの問題も本質は同じではないだろうか。服装の乱れを注意された日本代表選手も、引退を余儀なくされた横綱も、競技の実力は誰もが認めるところである。また、海外にわたって道を切り拓いてきたハングリー精神も共通している。彼らが、才能も努力も申し分のない特殊な存在であることに疑いの余地はない。
 しかし、特殊であっても、けっして特別ではない。人が皆、そうであるように、彼らとて社会の一員なのだ。そこのところを履き違えれば、個性は単なる身勝手と化し、傍若無人なふるまいが世間うんぬんよりも以前に、自分を支えてくれている人々を傷つけることになる。大切な人が悲しむ姿は、競技に良い影響をもたらすはずもない。

 上村選手の活躍を願う集いの席に、フィンランド・アルペンスキーのコーチで元選手のヨニ・バスタマッキさんが招待されていた。バスタマッキさんは、「選手をサポートする人たちが試合の前に集まって、こんなふうに選手の活躍を願うことはフィンランドにはない。フィンランドでは、選手は孤独。うらやましいカルチャーだ」と話した。彼にそういわしめたこの日の会は、上村選手が多くの人々に愛されている証でもあった。

 上村選手は残念ながら、あと一歩メダルに届かず、本人にとってはさぞ不本意な結果だったと思う。しかし、彼女が歩んできたこれまでの長い道のりは、周りの人々を十分納得させるものだったに違いない。
 女子モーグルの試合の2日後、スピードスケート500mで長島圭一郎選手が銀メダル、加藤条治選手が銅メダルを獲得した。日本にとって今大会最初のメダルだ。加藤選手は試合後、「応援してくれたみんなが喜んでくれた。少しは恩返しができたのかなと思う」とコメントを残した。日頃から周囲のサポートに感謝していなければ出てこない言葉である。一連の騒動があっただけに、加藤選手の言葉がやけに心に響いた。

高樹 ミナ(たかぎ みな)

スポーツライター

2000年シドニー大会の現地取材でオリンピックの魅力に開眼。

2004年アテネ大会、2008年北京大会を含む3大会を経て、

2016年オリンピック・パラリンピック招致に招致委員会スタッフとして携わる。

競技だけにとどまらず、教育・文化・レガシー(遺産)などの側面から

オリンピックとスポーツの意義や魅力を伝える。

日本文化をこよなく愛し、取材現場にも着物で出没。趣味は三味線と茶道。

INDEXへ
次の話へ
前の話へ