企業のオリンピック遺産


 バンクーバーから飛行機で東へ1時間ちょっと飛ぶとカルガリーに着く。1988年に冬季オリンピックが開かれた街の市内には、メダル授与式が行なわれたオリンピック・プラザがこの時季はスケートリンクとして開放され、カタリーナ・ヴィットがカルメンを舞ったサドル・ドームは、地元のアイスホッケーチーム、フレームス(NHL)とヒットマン(WHL)の本拠地として地元ファンの熱気に包まれている。
 郊外には、スピードスケートの会場になったカルガリー大学のほか、ジャンプ、ボブスレー、ルージュが行なわれたオリンピック・パークが控え、どちらの敷地にもミニチュアの聖火台が常設され、小さいながらも煌々と輝く火は、かつてのオリンピック開催地としての誇りを十分照らしている。

 オリンピック・パーク内には《オリンピック殿堂博物館》がある。88カルガリー大会のレガシー(オリンピック遺産)のひとつとして整備されたもので、同大会にまつわる展示を中心に、オリンピック学習用の教材や資料が豊富に揃い、アドバイザーも常駐している。優れた功績や偉業を称える意気込みという点ではアメリカにひけをとらないカナダの特色がここでも発揮されており、なかでも歴代オリンピック代表選手団の「旗手」を称えるコーナーが面白い。
 日本と同じくカナダも、オリンピックへの参加は1912年ストックホルム大会が最初である。それ以降の夏と冬の大会の開会式および閉会式で旗手を務めたアスリートひとりひとりの名前がパネルに刻まれ、さらに、2002年ソルトレークシティ大会からは旗手に対し《ジェームス・ウォーラル賞》が贈られるようになった。

 陸上のハードル選手だったウォーラルは1936年ベルリン大会で旗手を務めた。その際、国を代表してオリンピックに出場すること、オリンピック精神を敬うことに強い誇りを抱き、以来、カナダ選手の競技力向上のため、また若者たちのスポーツ参加を促進することに尽力。76モントリオールとカルガリー両オリンピックの大会招致に貢献したほか、カナダオリンピック委員会会長、カナダ最初のIOC委員として国内外で活躍した。
 「スポーツは世界をより良いところにすることが出来る。それは、人生の助けとなる理想をスポーツが与えてくれるからだ。」スポーツのよさをウォーラルはこう表現する。彼のスポーツ界への献身を称えると同時に、カナダの代表として旗手に選ばれたアスリートの誇りと喜びを国民と共に分かち合いたいとの理由から《ペトロ・カナダ》という石油ガス企業が賞を贈呈している。

 カナダ国内でガソリンスタンドを展開する同社は、カルガリー大会の聖火リレーを協賛した。以来、経済的援助を必要とするアスリートやコーチらを対象とした奨学金制度を設けるなど様々なスポーツ支援活動に継続的に取り組み、今回のバンクーバー大会では国内スポンサーに名を連ねている。
 バンクーバー大会に向けてカナダは約100億円の予算を組み、メダル獲得数で世界トップ3に入る計画“own the podium(表彰台を独占せよ)”を推進した。約3億円を受け持つペトロ・カナダでは、スポーツ支援のために自らの収益を単に寄附という形で拠出・還元するだけでなく、計画に対する国民の関心と参画をうながす工夫をしている。五輪のマークと大会ロゴの入った記念グラス(一個3.99ドル)を販売し、売上げの50%をオリンピック、パラリンピックの選手支援に役立てることを謳い文句に、購入による協力を国民に訴えているのだ。
 こうして88年カルガリー大会のレガシーは企業の社会的な取り組みやマーケティング戦略の中にも息づいており、カナダスポーツ界の大きな下支え役となっている。

嵯峨 寿(さが ひとし)

筑波大学准教授(レジャー・スポーツ産業論)。秋田県生まれ。筑波大学体育専門学群卒業、同大学院修了、(財)余暇開発センター研究員などを経て現職。CSRや社会貢献活動などを通じた企業とアスリートのパートーナーシップが、双方およびスポーツや社会におよぼす効果などを研究。
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