消える五輪




 オリンピック開催経験をもつ都市を訪ねて感心することがある。かつての競技会場が市民に愛用されているのはもちろん、施設の名称に“Olympic”の文字がしっかりと遺されているのだ。「オリンピック・スタジアム」という名称はよく見かけるし、88年カルガリー大会のスピードスケート会場は「オリンピック・オーバル」、ソウル大会の会場が集まる「オリンピック公園」のなかには「オリンピック博物館」が建っている、といった具合だ。
 東京の場合、「国立オリンピック記念青少年総合センター」と「駒沢オリンピック公園」くらいかと思うが、98年冬季大会の開催地、長野はどうだろうか。
 「長野オリンピック・スタジアム」(野球場)がある以外、ユニークなネーミングが当時話題になったエムウェーブ、ホワイトリング、ビッグハット、スパイラルなど、名称だけからは、およそオリンピック会場だと判断するのが難しいものばかり。どうにか、建物正面にかけられた《五輪マーク》が、オリンピック開催地としての誇りをとどめている。

 ところがその五輪マークだが、最近になって、取り外される可能性が出てきた。
 長野市内に遺されたオリンピック施設は、大会余剰金を元手に創設された「長野オリンピック記念基金」(45億円)からの助成金によって運営が支えられてきた。12年間続いた助成事業がまもなく終了するのに伴い長野の鷲沢市長は、施設へのネーミングライツ(命名権)導入の検討に踏み切ると、苦しい台所事情と胸中を市のメールマガジンで明らかにした。
 長野県庁でも以前、県所有の6施設を対象に命名権の販売を試みた経緯があるが、唯一、県民文化会館に買い手がついただけで、市にも確たる見通しがあるわけではない。
 これに加え、もしも国際オリンピック委員会(IOC)のスポンサーではない企業が命名権を買うとなった場合、どうやら五輪マークを外さなくてはならないかも知れない。というのも、五輪マークの利用はスポンサー企業専有の権利であるとIOCが定めているためで、過去、札幌大会でフィギュアスケート会場となった「真駒内アイスアリーナ」、開会式やスピードスケートが行われた「真駒内屋外競技場」の命名権が売却された際に、施設外壁から五輪マークが撤去されている。(現在は館内に展示されている)

 長野大会当時、オリンピックをリアルタイムに体験した市民や関係者にとっては思い出が何よりの財産となっているだろうが、オリンピック開催都市であったことを表わす名前やマークといった「よすが」が消えては、開催地としての誇りもいずれは消滅するだろう。特に、オリンピック開催の歴史的事実を端的に知れるシンボルの不在は、地元開催について知らない世代がオリンピックに親近感を抱く機会を失うことにつながろう。

 そこで提案だが、命名権はIOCスポンサー企業が取得し、従来のような、社名や商品名をつける常套をくつがえし、“オリンピック”というネームを入れる離れ業を演じるというのはどうだろうか。これが許されるならば、五輪マークは下ろさずに済み、建物は晴れて“オリンピック”の名称がついた、真のオリンピックシンボルに生まれ変われる。
 このネーミングライツの新手は、広告効果を期待する企業の従来の投資とは異なり、地域の誇りと名誉を救い、オリンピックの栄光を灯し続けることに貢献する取り組みとして、好感が寄せられると思う。
 経済活動に限らず意識や希望までもが萎縮する今日、英雄的CSRの登場をねがう夢だけでも、せめてこうして持ち続けたいものである。

嵯峨 寿(さが ひとし)

筑波大学准教授(レジャー・スポーツ産業論)。秋田県生まれ。筑波大学体育専門学群卒業、同大学院修了、(財)余暇開発センター研究員などを経て現職。CSRや社会貢献活動などを通じた企業とアスリートのパートーナーシップが、双方およびスポーツや社会におよぼす効果などを研究。
INDEXへ
次の話へ
前の話へ