オリンピックの熱狂は一過性か




 積読してある本のなかから松瀬学氏の『サムライ・ハート』(集英社)を読んだ。女子ソフトボールの上野由岐子投手のことがつづられた一冊で、2008年北京オリンピックでの悲願の金メダル獲得までの努力と葛藤が凝縮されている。日本中を熱くさせたあの激闘から1年半。上野投手の渾身の一球一球が鮮やかによみがえり、無性に彼女のピッチングが見たくなった。

 本を読んだ週末、タイミングのいいことに西武ドームで日本女子ソフトボール1部リーグの開幕戦が予定されていた。エースに上野投手擁する王者ルネサスエレクトロニクス高崎(昨年までルネサステクノロジ高崎事業所)は4月11日の第3試合に登場する。対戦相手は昨シーズン、ルネサスエレクトロニクス高崎と日本一を争ったトヨタ自動車だ。いきなりの好カードであることと、当日は初夏の陽気に恵まれたこともあって、試合会場へ向かう足どりは軽くなった。

 他方、少しだけ気がかりなこともあった。観客動員である。オリンピックでメダルを取って盛り上がった競技は、その直後こそ集客が伸びるものの、時間が経つにつれて減少する一過性人気の傾向にある。ソフトボールも例外ではないと聞いていた。今回、上野投手と投げあうのは、北京オリンピック決勝で日本と死闘を演じたアメリカ代表チームのピッチャーのひとり、モニカ・アボット投手だ。世界トップクラスのピッチャー対決が目の前で見られるというのに観客が少ないのでは、あまりにもさびしい。
 たくさんのお客さんが入るよう、祈るような気持ちで迎えた試合開始15分前、ルネサスエレクトロニクス高崎の応援団が陣取る3塁側スタンドは8割方が埋まった。しかし、トヨタ自動車の応援席である1塁側スタンドは5割にも満たない。全体としては6〜7割程度の観客の入りでプレーボールが告げられた。

 先攻はトヨタ自動車。先頭打者はアメリカ代表チームで1番を打っていたナターシャ・ワトリー選手だ。そのワトリー選手に上野投手が初球を放った瞬間、どこで「わっ!」という声が上がった。続く2球目には「はやっ!」と、これまた驚きの声。思わず振り返ると、3列後ろに高校生もしくは大学生とおぼしき8人の女の子が嬉々として座っていた。
 彼女たちのストレートな反応にひかれ、4回裏のルネサスエレクトロニクス高崎の攻撃の前に声をかけてみると、この春、大学に入学したばかりで、高校時代にはソフトボールをやっていた仲間なのだそうだ。「北京オリンピックを見て上野さんと峰(幸代)さんバッテリーのファンになりました。ずっと試合を見に来たかったんですけど、週末は部活の練習があったので。やっと夢がかないました」と試合観戦を企画した女の子が話してくれた。

 試合は延長タイブレーカーの9回表、上野投手が1点を奪われトヨタ自動車に軍配が上がった。これにより王者ルネサスエレクトロニクス高崎は今シーズン、黒星スタートとなったわけだが、「今年は主力選手を欠き、若手中心のメンバー構成になったことを考えれば、9回までよく粘った」と宇津木麗華監督。大黒柱の上野投手も「自分が踏ん張ってチームを勝たせる」と、今年に入って物議をかもした日本代表候補入り辞退のけん騒をよそに、高いモチベーションをみせた。

 件の女の子たちも「大学でもソフトボールを続けます。入部するのが楽しみ」と大いに刺激を受けた様子でスタンドを後にした。オリンピックの盛り上がりは一過性といわれるなかで、当時の感動を原動力に未来へ歩み出そうとしている若者がいることに、何か希望の光を見るような気がする。
 スポーツはこういうファンに支えられている。競技団体、選手、メディアを含め、われわれスポーツにたずさわる者は、彼女たちのような人をひとりでも多く増やす工夫と、さらなる努力をしていかなくてはならない。

 2010日本ソフトボールリーグ 試合スケジュールはこちらへ
日本ソフトボール協会ホームページ http://www.softball.or.jp/

高樹 ミナ(たかぎ みな)

スポーツライター

2000年シドニー大会の現地取材でオリンピックの魅力に開眼。

2004年アテネ大会、2008年北京大会を含む3大会を経て、

2016年オリンピック・パラリンピック招致に招致委員会スタッフとして携わる。

競技だけにとどまらず、教育・文化・レガシー(遺産)などの側面から

オリンピックとスポーツの意義や魅力を伝える。

日本文化をこよなく愛し、取材現場にも着物で出没。趣味は三味線と茶道。

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