ロンドン・オリンピック2012のマスコット “ウェンロック”




 2012年ロンドン・オリンピックのマスコットが先日発表された。『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉おやじを思い起こすようなデザイン。その名前は「ウェンロック」と名付けられた。この名前の意味合いが、なかなか奥深い。
 「ウェンロック」は、イギリスのバーミンガムの北西部に位置するシュロップシャー州の町、マッチウェンロックを指し、19世紀半ばにオリンピックという名のついた競技会が行われていた場所である。近代オリンピックの真の故郷と主張する人もいる。

 この競技会はW.P.ブルックス(1806〜1896年)という医者が、労働者階層の人々の教養と健康の増進をめざして、運動競技などの競技会を行おうと、1850年に始められた。当初はオリンピックを意識したものではなかったが、1860年以降、競技会の名前を“オリンピア競技会”とし、やり投げや五種競技(綱登り、走り幅跳び、走り高跳び、右手と左手による力石、880ヤード障害走)を取り入れるなど、古代オリンピックの復興を意識したものになった。このオリンピックは毎年行われ、規模も徐々に大きくなっていく。やがて、他のスポーツ関係者とともに、イギリス・オリンピア協会を1865年に設立して、その規模をさらに拡大した。この協会の規約には、大会の都市持ち回りや委員会の設立、国際的な競技会にすること、芸術競技の実施などが盛り込まれていた。国際オリンピック委員会が結成される30年前に、ほぼ同様の規約と組織が作られていたのである。こうして、バーミンガム、リバプール、ロンドンなど、大都市の持ち回りで、イギリスオリンピック競技会が実際に開催されたのであった。

 やがて協会の規約に明記している通り、ブルックスはギリシャと連係して、アテネで国際オリンピア競技祭を行う計画を発表し、ギリシャ側と交渉に入った。実はアテネでも独自のオリンピックが行われていた。アテネでの国際オリンピック開催は実現しなかったが、その10年後の1890年10月、ブルックスは若きクーベルタンを“ウェンロック・オリンピック”に招待した。ブルックスは84歳、クーベルタンは27歳であった。親子以上の年齢差があったが、ブルックスはスポーツ教育に関心を持つクーベルタンに、ウェンロック・オリンピックやイギリス・オリンピア協会のこと、そしてアテネでの国際オリンピック競技会の構想を話したのであった。

 クーベルタンは競技会を観戦して感激し、“ウェンロック・オリンピック”は古代オリンピックを継承したものであり、ブルックスがオリンピックの組織化と拡大に努力していることを同年12月に書き記している。
 クーベルタンが古代オリンピックを復興してオリンピック競技会を始めようと最初に提唱したのは1892年であり、復興の着想はブルックスから受け継いだ部分が大きかったと思われる。近代オリンピックの創設にイギリスも深く関わっていたことを世に示すためにロンドン組織委員会がマスコットに託したのかもしれない。

真田 久
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