いま改めて思う、W杯南ア大会の意味




※このコラムは第30話からの続きです

 次世代の日本代表として今後の活躍が期待される若手に、ワールドカップ(W杯)という世界最高峰の舞台を“体験”してもらおうと企画されたソニーの『TEAM make.believe』プロジェクト。南アフリカに派遣された柴崎岳選手(青森山田高校)と三平和司選手(湘南ベルマーレ)の2人に帯同した私は、彼らとともに南ア代表チーム『バファナバファナ(少年たちの意)』の元キャプテン2人に会い、貴重な話をじかに聞くことができた。

 アパルトヘイト(人種隔離政策)に対する制裁のため、世界のスポーツ界から長らく追放されていた南アだが、1991年にこれを撤廃すると国際舞台に復帰。国際サッカー連盟(FIFA)にも92年に再加入すると、代表チームを結成した。その初代キャプテンに指名されたのがニール・トーヴィーさんだ。白人はラグビー、黒人はサッカーというイメージが強い南アにおいて、白人の彼がチームを率いるには様々な苦労があったと思われるが、一緒に朝食を摂りながら、国の代表として戦うことの誇りやマンデラ元大統領とのエピソードを気さくに話してくれた。
 「FIFA復帰直後の92年から97年までの5年間、私は代表チームのキャプテンを務めていました。当時私は国内リーグの『カイザー・チーフス』のキャプテンでもあったんですが、メンバーの大半がチーフスから選出されていたので、チームは比較的まとめやすかったように思います。ただ、国際舞台から遠ざかっていたので、ナイジェリアやジンバブエとの国際マッチではボコボコにされていましたね。バーカー監督が就任してからは、国際マッチに臨むときもギリギリまで国内で練習して心身ともに万全な状態に仕上げ、チームの結束力を高めるようにしたんです。現地入りした後も、国内と同様に食事や生活ができるように工夫を凝らしたところ、徐々に力がついて成績が向上し始めたんです」
 その結果、地元で開催された96年のアフリカ・ネイションズカップで初優勝することができ、FIFAランキングでも16位にランクされる強豪チームへと変貌を遂げたのである。

 チュニジアとの決勝戦は、初の全人種参加による選挙で選出された当時のマンデラ大統領もスタジアムに駆けつけた。表彰式では優勝トロフィーを高々と掲げるトーヴィーさんの隣で、彼のユニホームに身を包み、笑顔でガッツポーズをつくる大統領の姿があった。
 「マンデラさんはサポーターの1人としていつもチームを支えてくれました。私たちが滞在するホテルにやってきて、“結果は後からついてくるものだから、まずは試合を楽しんでください”と激励し、ホテルのスタッフをはじめ記者、カメラマンなどその場にいるすべての人にお礼の言葉をかけるんです。応援に来られないときは、キャプテンである私のところに必ず“グッド・ラック!”と電話をくれました。政治犯として27年間も刑務所に拘留されたにもかかわらず、決して人を憎んだり恨んだりせず、人々をつなげることに心を砕いていました。彼は本当にスペシャルな人。民主化後の初代キャプテンになったことは、私にとって大変な誇りです」
 アフリカ王者になったのがきっかけで国内にW杯招致の気運が高まり、今回の開催に漕ぎ着けた。現在はダーバンを本拠にする『アマ・ズールー』の監督を務めているというトーヴィーさんは、最後に柴崎選手と三平選手にこうアドバイスしてくれたのだった。
 「選手をやっていればいいときも悪いときもあります。たとえ悪い状況にあっても、自分を信じて努力を惜しまないこと。選手であることの幸せを忘れずに、常に楽しみながらプレーをしてください」

 もう1人は、イングランドの名門『リーズ・ユナイテッド』のDFとして活躍したルーカス・ラデベさんだ。南アサッカー界のレジェンドでもある彼は、どこに行ってもファンに囲まれる人気者だが、驕ったそぶりは全くない。ソニーのパビリオンで若い2人とトークショーに出演する直前、楽屋裏でこんな話をしてくれたのだった。
 「私はヨハネスブルグ近郊の黒人居住区ソウェトの出身で、子供の頃からサッカーを思う存分楽しみ、チャンスが来たときには決して弱気にならず前向きに挑戦してきました。94年にカイザー・チーフスからリーズに移籍した当初は様々な困難と犠牲が伴いましたが、勇気を持って挑戦した結果、チームに認められ活躍できるようになったんです。どんなに辛くても、与えられたチャンスを楽しむこと。これを忘れてはいけません」

 サッカー選手である以上、W杯でプレーすることは最大の目標だ。98年と2002年の2回、キャプテンとしてW杯に出場した彼は、間近でW杯を観る機会に恵まれた2人に今回のプロジェクトを選手として大いに活用すべきだと助言する。
 「世界の何億人という人々が見ている前で試合をすると、その役割と責任の大きさを実感します。あなたたちにもぜひそれを経験してほしいですね。プロ選手は子供たちから尊敬される立場ですからロールモデルとしての自覚をしっかりと持ち、プロ選手になれたことへの感謝の気持ちを社会に還元することが大切です。今はサッカー界においても社会貢献が求められる時代なので、選手もそのことを十分に理解して活動していく必要があります」
 彼らの話を聞いた後、2人に感想を尋ねてみると「今はプロになって苦しいことがたくさんあるんですが、そんな状況でも“サッカーを楽しむ”気持ちを忘れてはいけないんだなと改めて思いました。自分に自信を持ってプレーをし、日本で一番のFWになりたいです」(三平選手)、「周囲の人たちに感謝して社会に貢献するなど、サッカー選手としてやっていくうえで2人の話はとても参考になりました。4年後のW杯には選手として出場し、活躍したいです」(柴崎選手)といい、大いに刺激を受けたようだった。

 開幕前は「こんな治安の悪い国でなぜW杯を開催するのか」との思いもあったが、いざ現地に足を運んで様々な人と出会って話をしてみると、苦難の歴史を歩んできた彼らでなければ語れない国を背負うことの喜びや誇りを痛感する。ここではサッカーが単なるスポーツではなく、人と人とをつなぐ重要なツールなのだ。
 W杯をきっかけに南アがどんな国に変わっていくのか、そして『TEAM make.believe』の2人が選手としてどんな成長を遂げるのか――。それを見守るのが、今後の大きな楽しみの1つになった。


INDEXへ
次の話へ
前の話へ