試合前後の振る舞い




 スポーツを観るたのしみは、ゲームの攻防や展開にあるのはもちろんそうだが、それ以外にも、試合の前後に選手が見せる振る舞いや対戦相手に向ける態度にも見どころはある。

 今回のサッカーワールドカップで日本代表の選手に感心したのは、試合開始直前、両チームの先発メンバーが一列になって握手を交わしていくときの態度である。茶の間はなるほど特等席と言われるだけあって、選手の表情や挙動が実によくわかる。
 握手とは一説では、武器を所持していない、つまり敵意がないことを示す友好の表明であるが、母国を代表し、いよいよ大一番に臨もうとする選手に戦意がないわけはない。どの選手も、闘志を静かに敬意にくるみながらも、相手から視線をそらすことなくしっかりと握手をしていた。体格では劣る長友選手(23)も、はるか頭上からの視線をものともせず、堂々と対していたのが実に心地よかった。

 握手といえば、実は、ワールドカップ開幕前の5月、モスクワで催された世界卓球のテレビ放映で目にした光景が気になっていたのだ。卓球でも試合後、相手の選手やコーチ、審判らと握手をするのだが、かれらがしているそれを握手と呼んでは握手に失礼に思えるほどいい加減なものだった。卓球の選手は、ラケット以外は握ってはならないという掟(おきて)でもあるのだろうか、わずかに掌(てのひら)が触れるかどうかのぞんざいな所作で、手も握らない上、言葉を交わす様子もなければ顔は完全にソッポを向いている。
 試合のそんな終わり方を見せられると、見る側としては、不完全燃焼だったのだろうか、相手への感謝の気持ちなど微塵もないのだろうかと疑ってみたくもなる。

 2002年ワールドカップ日韓大会の時、ある新聞に、ブラジル代表のロベルト・カルロスとイングランドのベッカムが抱擁する写真があった。死力を尽くして戦い抜いたふたり以外に人影はなく、背景を埋める青々とした芝生の色と、国旗が縫い付けられたユニフォームから解放された裸身とに、国の威信などとは関係なしにサッカー選手として力を出し切ったすがすがしさが実によく感じられた。
 カーリングでもたしか、ゲーム開始前に“good game”という言葉を添えて握手を交わすシーンがみられる。初めてそのひと言を聞いた時、なぜだか豊かな気持ちになったことをおぼえている。

 サッカーやカーリングが培ってきた文化的財産を一朝一夕に他の種目に移植できるとは思えないが、勤務先の大学でバドミントン部の顧問をしている私は、バドミントンの技術や戦術、トレーニングやコーチングのことは全くの門外漢なので、せめて、試合後に交わす握手はしっかりせよと部員には口うるさく言い続けることにした。相手チームの選手がそれにどう応じようが、バドミントン界が、見る者を多少なりとも惹きつける文化性を備える一歩になればと思う。
 それにしても、“シェイクハンド”と命名された技術(ラケットの握り方)を持つ卓球においてこそ、これぞお手本と賞賛される美しい握手シーンが見たいものである。

嵯峨 寿(さが ひとし)

筑波大学准教授(レジャー・スポーツ産業論)。秋田県生まれ。筑波大学体育専門学群卒業、同大学院修了、(財)余暇開発センター研究員などを経て現職。CSRや社会貢献活動などを通じた企業とアスリートのパートーナーシップが、双方およびスポーツや社会におよぼす効果などを研究。
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