選手宣誓




 うだる猛暑続きの今年、夏の甲子園は、興南高校が史上6校目となる春夏連覇をとげ、深紅の大優勝旗を初めて沖縄にもたらした。近年、芸能界もそうだがスポーツ界でも沖縄勢の躍進が目覚しいが、その原因詮索はさておき、15日間の熱戦に先立つ8月7日、開会式で聞いた選手宣誓には、10代のスポーツ選手の意識が30年以上前の自分たちの時代に比べずいぶん違うものだと思わされた。

 「熱い熱いボクたちの夏が今年もやってきました。今、ボクたちは全国の球児の代表として誇りを胸にあこがれの舞台、甲子園に立っています。今年は連日、猛暑が続いています。しかし、ボクたちはそれ以上に熱く炎のように燃えるような気持ちで、皆さんに元気を与えたいと思っています。今まで自分たちがやってきた ことを信じ、また、この場所で野球ができることに感謝して、明るく笑顔でプレーすることを誓います。夏の夢、今、走りだす。」

 選手宣誓といえば、「われわれ選手一同は、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と戦うことを誓います」というお決まりのフレーズを、一語一語を区切り、語尾を上げて絶叫するスタイルを想起する。しかし、たまたま目にした今年の選手宣誓では「みなさんに元気を与えたい」と言っているではないか。どうやら、1984年大会の選手宣誓を行なった福井商業の坪井久晃主将が、「若人の夢を炎と燃やし、ちから強く、逞しく、甲子園から未来に向って、正々堂々と戦い抜く」と誓い、それまでの紋切り型を脱したばかりか、静かな口調で行なったのが今にいたる転換点になったと評されている。

 1915年に始まった甲子園大会に選手宣誓が採り入れられたのは1930年のこと。それまでは高野連が用意した宣誓文を読み上げるものだったのが、1984年大会から「自分のことばで語るように」と方針が変わる。さらに2001年からは、組み合わせ抽選会で1番クジを引いた学校のキャプテンが宣誓を行なっていたのをやめ、立候補制が採られるようになった。10年目の今年、出場49校のうち実に28人が名乗りを上げ、抽選の結果、福井商業の小倉凌主将が当たりを引き当てた。

 日本中の人々が注目する中、宣誓役を望む心臓の強さも羨ましいが、文面にも表われているように、観戦している人々に対する配慮といおうか、自分たち高校球児の影響力を自覚している点に感心させられる。
 長らく続いた「正々堂々と戦う」という宣誓は、戦い方に重きを置いた意志表明であったが、自由化以降、観戦者におよぼす心理的な効果にも言及する傾向がみられる。
 昨年は「全国の人々に希望と感動を与える」(伊万里農林の吉永圭太主将)、一昨年は「日本中に高校野球の素晴らしさを伝える」(福知山成美の椎葉一勲主将)といった具合で、スポーツがテレビをはじめとするマスメディアによって支えられ、社会や人々に影響を与えるようになった1990年代以降に生まれ育った世代にとっては、スポーツを見る人々の存在はごく自然であり、かれら自身の生活のなかでもスポーツを見るという行為は日常的で、感動的な体験となっているのだろう。

 ちなみに、戦い方の表明や観戦者への影響以外に、かれら球児を支える関係者(仲間、先輩、家族、先生など)に向けた感謝の言葉も添えられている。スポーツが決してプレーヤーだけで成り立っている世界ではない現実をかれらがよく理解している証であろうし、その現実に対する一般の再認識をうながしてくれる。
 選手宣誓には、高校球児の野球観をはじめ、若者の気質や時代・社会に対する認識などが文言となって滲み出ている。高校球児の魅力と頼もしさを後世に伝え、その意識の変化をさぐる貴重な資料といえるだけに、「甲子園歴史館」や「野球体育博物館」などで多くの人の目に触れる展示があってもいいように思う。

嵯峨 寿(さが ひとし)

筑波大学准教授(レジャー・スポーツ産業論)。秋田県生まれ。筑波大学体育専門学群卒業、同大学院修了、(財)余暇開発センター研究員などを経て現職。CSRや社会貢献活動などを通じた企業とアスリートのパートーナーシップが、双方およびスポーツや社会におよぼす効果などを研究。
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