オリンピックと芸術競技




 ギリシャでは、紀元前8世紀から1200年間にわたり、オリンピアの地で競技祭が行われた。古代オリンピックである。それを範としてフランスのクーベルタン男爵が復興したのが、1896年開始の近代オリンピックである。ところが当のギリシャでは、1896年より前に、古代オリンピックが復興されていた。

 15世紀末、ギリシャ人はオスマントルコに支配されたが、1830年代初めに独立を勝ちとった。それを契機に、ギリシャ人は街づくりや芸術などで古代ギリシャの文化や伝統を復活させるとともに、古代オリンピック復興を目指す動きも現れた。ザッパスという人物が、貿易で築いた財産を提供したことで、ギリシャ人によるオリンピック競技会が、アテネの公園で1859年に行われた。400年ぶりに独立を果たしたギリシャ人が、古代の文化にアイデンティティを求めた行動であった。クーベルタンによるオリンピック復興より、30年以上も前のことである。

 このギリシャ・オリンピックは、スポーツのみならず、産業製品の競技も行われた。新生ギリシャは、独立国家として経済的発展を目指したからである。農業、工業、牧畜業などに関係した製品の中ですぐれたものに、古代と同様、月桂冠やオリーブの葉冠を授与した。スポーツと産業製品の競技が、近代にふさわしいオリンピックであると解釈された。

 第2回ギリシャ・オリンピック(1870年)のスポーツ部門は復元された古代の競技場、パナシナイコ・スタジアムにて開催された。3万人の大観衆(当時のアテネの人口は5万人)が集まり、古代オリンピックの復興を祝った。一方、展示会場で行われた産業製品部門は、その中の芸術的な作品群の中から、絵画、彫刻、建築(設計図)などの芸術競技も行われるようになった。音楽と詩歌の競技も実施された。国家の経済的発展のみならず、「身体的な活力」と「ミューズの崇拝」がオリンピックの目的として掲げられ、芸術や知的部門にも関心が払われたからである。

 ミューズ神という古代ギリシャの音楽・文芸の女神への崇拝、つまり文化、芸術への尊敬とそれらの発展が、真に古代オリンピックの復興をとげるものだという文化人や学者たちの主張によるものであった。
 こうして、第二回、第三回、第四回とギリシャでのオリンピックでは、芸術競技が実施された。それらを海外在住のギリシャ人たちが賞金を出すなど、サポートするようになった。
 これら一連のギリシャ・オリンピックは、1896年の第1回近代オリンピックの下地となる。メダルの授与や、オリンピック賛歌の合唱などは、ギリシャ独自のオリンピックの継承であった。楽団のパレードや古代劇の上演、そして閉会式では、古代の詩が朗読されてアスリートを称え、クーベルタンを感動させた。

 1906年にクーベルタンは、芸術競技の導入を協議し、1912年のストックホルム大会から実施した。身体と精神の調和をめざすことが、古代オリンピックの理想と考えたからである。そこで採用された種目は、絵画、彫刻、建築、音楽と詩歌であり、これらを彼は「ミューズの五種競技」とよんだ。奇しくも、ギリシャ・オリンピックで行われた芸術競技と同じ種目が行われるようになったのである。
 はたしてクーベルタンが近代ギリシャ人の芸術競技をまねたかどうかはわからない。言えることは、オリンピックのあり方を古代に照らして考えると、誰しも、スポーツのみならず、文化・芸術との融合ということに行き着くのであろう。

 今日では、芸術競技は文化プログラムに変化して行われているが、影がうすい。シンガポールで行われたユース・オリンピックでは、文化・教育プログラムが重視された。オリンピック本来の姿に戻るかどうか、試されているのかもしれない。

真田 久
INDEXへ
次の話へ
前の話へ