『湘南シーレックス』にみる2軍改革の挫折




 球団売却問題で揺れるプロ野球の横浜ベイスターズ。ここ数年は最下位が定位置になっていたがオフの戦力補強はパッとせず、ファンにとっては「(親会社の)TBSは勝つ気があるのか?」と首をかしげたくなることが多々あった。
 思えば、8月2日に突如発表された『湘南シーレックス』の消滅も球団売却に至る伏線ではなかったか。2軍の独立採算を目指し、1軍とは異なるチーム名とユニホームを持つ “13番目のプロ球団”は2000年に発足。画期的な取り組みとして注目された。
 当時、シーレックス事業部の一員としてその立ち上げに奔走し、現在は尚美学園大学准教授として教鞭を執る小島克典さんは次のように語る。
「横浜は1998年にセ・リーグ優勝と日本一の2冠を38年ぶりに果たしたんですが、もっと頻繁に優勝できる強いチームをつくりたかった。そのためには若手の育成が不可欠なので、2軍選手が多くの観客に“見られる”ことで発奮し、レベルアップできるような環境をつくろうと考えたわけです。こうして生まれたのが湘南シーレックスでした」

 一見、華やかに見えるプロ野球の世界だが、2軍選手がプレーしている環境はかなり“お寒い”のが実情だ。どこの球団も育成機関である2軍を観客に見せる“商品”とは捉えておらず、練習グラウンドに毛が生えたような球場で試合をすることも珍しくない。平日午後1時からの試合で小雨が降っていようものなら、球場には観客10〜20人と猫5匹なんてこともザラ。プレーする選手たちは1〜2年前に甲子園を湧かせたスターばかりだというのに……である。
 そんな現状を打破しようとシーレックスは横須賀スタジアムという収容5000人の球場を本拠地にして地域に密着し、地元の人たちに2軍の試合を楽しんでもらえる環境を整えた。1軍とは違うチーム名にして格差をつけたのは、「早く一人前のプロになってベイスターズの縦じまユニホームを着たい」と選手のハングリー精神を引き出すための作戦だった。
 こうした工夫が功を奏し、発足2年目には観客動員数を前年の2倍に伸ばし、1試合平均で1000人(入場料1000円)を集めるまでになった。育成面も、シーレックス1期生の金城龍彦選手が1軍に昇格すると新人王と首位打者を獲得。ケガで3年ほどシーレックスで揉まれた内川聖一選手も、08年から1軍レギュラーに定着し首位打者に輝いた。
「09年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でぼくは日本チームの通訳を務めたんですが、久しぶりに再会した内川選手が“シーレックスの代表として世界の舞台で頑張るからね”と声をかけてくれたんです。この一言にはグッと来ました」(小島さん)

 成果が着実に現れていたにもかかわらず、なぜシーレックスをやめて“ベイスターズの2軍”に戻すことになったのか。
「外的な要因としては、04年の球界再編直後に発足した四国アイランドリーグを筆頭に、従来のプロ野球とは違う独立リーグが全国各地に誕生したことがありますね。今やプロを名乗るチームが20球団以上もあるので、湘南シーレックスがベイスターズの2軍なのか、独立リーグのチームなのか、一般の人にはわかりづらかったかもしれません」
 内的な要因としては、2軍の独立採算を構想した当時の大堀隆社長が1軍の成績不振の責任を取って03年に辞任したことや、立ち上げ時に現場で奮闘した小島さんも大リーグ挑戦を決めた新庄剛志選手の通訳として渡米し、球団を去ってしまったことがある。
「シーレックスは生みの親と育ての親の両方を失い、球団の経営もマルハからTBSに変わってしまった。事業は継続されたものの、これだけ環境が変わると当初と同じ情熱を傾けるのは難しかったと思います。1つの事業を継続してやり続けることの難しさと、ぼく自身の責任も痛感しています」
と、小島さんは自省を込めて言う。

 横浜と同様に2軍の活性化を模索したオリックスも、00年に穴吹工務店と契約を結んで同社のマンションシリーズ名を冠した『サーパス神戸』に2軍のチーム名を改称。2軍改革は球界全体に広がるかに思われたが、あとに続くチームはなかった。穴吹工務店が経営破綻したことでサーパス神戸は08年に、湘南シーレックスも今シーズンで消えた。2軍改革の夢はいずれも挫折した格好だ。
「一時は日本ハムも2軍を『鎌ヶ谷ファイターズ』にするという動きがあり、毎年1球団ずつでも改革してくれれば球界が変わると期待していました。ぼくらの力不足もあったとはいえ、やはり1チームでやれることには限界があります。日本野球機構(NPB)が音頭を取って“湘南や神戸の取り組みは面白い。地域名+ニックネームでまずは3年間やってみよう”と、球界全体で取り組む姿勢が必要だったのではないでしょうか。今の球界に必要なのは強いリーダーシップと、長いスパンで大きな絵を描くような経営だと思うんです」(小島さん)

 シーレックスの挑戦は終止符を打ったが、この11年間の試行錯誤をムダにしないためにも、横浜とNPBが協力し合ってこれまでの活動をきちんと分析・検証し、球界全体に役立てていくことが大切だ。球界の明日を担う2軍の活性化は、野球をより魅力あるコンテンツにするための重要なテーマなのだから。


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