アスリートの大義への貢献




 自転車ロードレースの世界最高峰、ツール・ド・フランス。今年7月の大会期間中に行なわれたドーピング検査で、優勝選手が陽性だったとの発表が9月にあった。ドーピング騒ぎといえば、ツールで前人未到の7連覇を打ち立てたランス・アームストロング(米)もまた、薬物疑惑の汚名と戦い続けたひとりである。

 1996年アトランタで行なわれたオリンピックに出場したランスは、間もなくして、がん宣告を受ける。生存率3%。医師は25歳の青年を絶望させないよう50%と偽った。患部である睾丸が摘出され、肺や脳にまで転移していた腫瘍の除去手術も行なわれた。「アルプスの一番険しい上りすら、平らに思わせる」ほど苦痛だったという3ヶ月に及ぶ化学療法にも耐えた。

 競技復帰までの紆余曲折、心的葛藤も周囲の助けや励ましで何とか乗り越え、ツールのスタートに立つ。1999年、ツール復帰最初のステージをいきなりの優勝で飾る。死の淵をさまよっていた者の勝利は「まぐれ」とみられ、その後も山岳ステージで他を圧倒する走りをみせると今度はどうだろう、ドーピングの疑いが向けられたのである。
 「ランス絶望」と報じたジャーナリストに彼の勝利は不都合な真実であり、ツールは伝統ある欧州の象徴であるとの自負心とフランスの反米感情が合いまって、ランス攻撃になったともいわれる。いずれにせよ、執拗なドーピング検査をもって身の潔白を証明しながら、それまで欧州選手が持っていた5連覇の記録を破ることとなる。

 話は前後するが、化学療法が最終ステージを迎えた1996年末、ランスはガン生還者としての責任に目覚める。そして、がん患者とその家族や医療に携わるスタッフ、研究機関といった「がんコミュニティ」援助を目的とした基金を発足する。
「多くのアスリートは、世界の問題は自分たちとは関係ないかのように生きている。アスリートであることの良い点、社会に対してできる働きの一つは、人間の力でここまでできるという可能性を示せることだ。人々が限界を考え直し、壁と思えるものは実は心の中の障害にすぎないと考えられるようにすることだ。そのメッセージを広めることはアスリートである自分にふさわしい役割だ。」(自伝『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』より)

 ツールへの出場そして優勝とは、ランス自身にとっては完治(再発の不安からの解放)を確かめる方法であり、人々にとっては「癌になってもここまでできる」という人間の可能性を知る最良の見本となった。はたして自らが引き受けた責任を果たそうとするモチベーションが偉業達成の原動力になったといっては言いすぎだろうか。

 さて、ランスはツールの勝者が着用するジャージ、マイヨ・ジョーヌと同じ黄色のリストバンドを付けている。「強く生きろ」のメッセージが刻まれた、5、6年前日本でもブームとなったそのリストバンドは、彼が契約するスポーツ用品メーカーが企画・販売し、収益はランスのがん基金に寄附されている。
 憧れだった同社との契約を結んでほどなくしてがんが見つかり、切り捨てられる心配もしたが杞憂に終わった。イエローバンドのほかにも同社は、ランスにちなんだ商品の販売やユニークなチャリティーイベントなどを通じ、がん基金を支援している。ガン・コミュニティ支援という大義で結ばれたパートナーシップは、両者はもちろん、多くの人々の恩恵になろう。がんにおかされる可能性は誰にもあるからだ。

 アスリートは、人々に大義を訴え、協力をうながす媒体としてもその影響力が期待されている。いかなる大義に貢献すべきかは難しい問題であるが、ランスの例は、自身の競技力と共に社会におけるスポーツの価値評価を高められるアスリートの可能性を示している。

嵯峨 寿(さが ひとし)

筑波大学准教授(レジャー・スポーツ産業論)。秋田県生まれ。筑波大学体育専門学群卒業、同大学院修了、(財)余暇開発センター研究員などを経て現職。CSRや社会貢献活動などを通じた企業とアスリートのパートーナーシップが、双方およびスポーツや社会におよぼす効果などを研究。
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