室伏広治、聖火台を磨く!




 11月14日、ハンマー投げ金メダリストの室伏広治は、都内の小中高校生およそ1200人による陸上競技大会「第5回東京アスレチックカーニバル」(主催/社団法人東京陸上競技協会)が開かれた国立霞ヶ丘競技場にいた。大会に出場する子どもたちと聖火台を磨くためだ。

 競技場のバックスタンド最上段に鎮座する聖火台は1958年に完成し、その6年後、日本初、アジアでも初となった1964年東京オリンピックで使用された。製作の舞台裏には命がけで作業に挑んだ職人と家族の知られざる物語(第4445話「職人の技と心を受け継ぐ聖火台(前・後編)」を参照のこと)がある。その逸話に感銘を受けた室伏選手は昨年、「オリンピック精神の象徴である聖火台を、アスリートである自分もまもっていきたい」と、遺族らが毎年行っている聖火台磨きに参加。今年は「ものごとに一生懸命に取り組む姿勢やものを大切にする心を、次世代を担う若いアスリートに語り継ぎたい」と、子どもたちが一堂に会す競技会での聖火台磨きを提案した。

 聖火台磨きは昼食の時間帯30分間を利用したこと、聖火台周りのスペースが限られている等の事情から、室伏選手と製作者の遺族、12人の子どもたちによって行われた。鉄を溶かして出来た鋳物(いもの)の聖火台に光沢を与えるには油が効果的だという。なかでも香りが良いという理由から食用のごま油が使われているそうで、ごま油をしみ込ませた手ぬぐいを手に一同、聖火台磨きに夢中になった。

 辺りは、ごま油のこうばしい香りに満ちている。子どもたちからは「(聖火台は)想像していたより大きくて驚いた」「室伏さんに会えてうれしい」「オリンピックをめざしたくなった」などの感想が飛び出す。製作者の故・鈴木文吾さんの弟にあたる昭重さんは、「かつては兄夫婦二人だけで、一日がかりで磨いていた。こんなにもたくさんの皆さんが磨いてくれて天国の兄も喜んでいるだろう」と感無量の様子だ。
 室伏選手はといえば、「聖火台が出来て50年以上も経っているなんて、すごい。歴史を感じる。来年もまた磨きたい」と話した小学4年生の女の子の言葉に感激し、「子どもの感受性というのは素晴らしい。大人が思っている以上にものごとを理解している。自分の行動から何かを感じ取る心はスポーツを通して養われる部分もあるのではないか。これからも子どもたちの感性が磨かれるような活動をしていきたい」と目を細めた。
 さらに自身の子ども時代を振り返り、「父親がオリンピック選手だった関係で小さい頃から身近にメダリストがいた。サインをもらったり握手をしてもらったり、声をかけてもらったりするのがとてもうれしく、励みになったことをよくおぼえている。自分が逆の立場になった今、僕がしたような経験を今度は子どもたちにさせてあげたい」とも語った。

 室伏選手はこの日、聖火台を磨いた後、ハンマー投げの指導にもあたった。行くところ行くところで子どもたちのサイン攻めにあったが、これにも快く応じ、一人ひとりと握手を交わす。理由は「若いアスリートの力になりたい」から。室伏選手の大きな手に触れた子どもたちは、「室伏選手に会えてとてもうれしい。競技をがんばろうと思った」と嬉々としていた。
 現役選手として結果を出しながら、自身の存在意義を自覚し、後進を導くために行動をおこせるアスリートは、そう多くないだろう。彼らの中から世界に羽ばたくトップアスリートが誕生することを願ってやまない。

※このイベントは「アスリートとの交流イベント〜室伏広治、聖火台を磨く!」と題し、国際スポーツ東京委員会が主催したものです。

高樹 ミナ(たかぎ みな)

スポーツライター

2000年シドニー大会の現地取材でオリンピックの魅力に開眼。

2004年アテネ大会、2008年北京大会を含む3大会を経て、

2016年オリンピック・パラリンピック招致に招致委員会スタッフとして携わる。
競技だけにとどまらず、教育・文化・レガシー(遺産)などの側面からオリンピックとスポーツの意義や魅力を伝える。

日本文化をこよなく愛し、取材現場にも着物で出没。趣味は三味線と茶道。

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