2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピックの柔道女子63kg級で金メダルに輝いた谷本歩実。史上初の2大会連続オール一本勝ちを果たした彼女が、本格的に栄養士の勉強をしているのをご存知だろうか。聞けば料理界の重鎮、服部幸應氏が主宰する服部栄養専門学校に2010年4月から通っているとのこと。谷本は昨年9月の引退発表後、在籍先の大手重機メーカー「コマツ」で指導者になったはずだ。それが専門学校生とは。彼女のセカンドキャリアに興味を持った。

 もちまえの笑顔で約束の場所に現れた谷本はこの日、服部栄養専門学校の授業を終え大急ぎでやって来た。平日は朝9時から夕方6時まで授業を受け、夜はコマツ女子柔道部の道場で稽古をつけているという。加えて2008年からは弘前大学大学院社会医学講座の研究生として、在京でスポーツ医学を学ぶ多忙な毎日。今年4月からは博士課程への進学も決まっている。
 「宿題やレポートも多くて大変」と苦笑いする彼女だが、名門チームの指導者の道が約束されているにもかかわらず、これほどまでに向学心に燃えるのはなぜか。理由をたずねると「壊れていく選手を止めてあげたいから」と話してくれた。
 「私も現役時代は北京オリンピックの直前に腰を痛めたり、膝の靭帯を断裂して手術を受けたりとケガには泣かされました。さいわい大一番では結果を出すことができましたが、ケガが原因で引退に追い込まれる選手はたくさんいます。特に練習量をこなして強くなる選手に限って、無理がたたり壊れていくケースが多い。そうした選手たちに柔道の技術だけでなく、理論に基づいたコンディショニングの指導をするために、どうしても医学的な知識と栄養的な知識が必要だと思ったんです」

 そこで谷本は、「選手はトップクラスになればなるほど孤独。周りに本音を話せる人がいないし、女性選手は男性コーチに話しにくいこともある。特に体のことは女性同士のほうが分かるので、自分は体づくりの基礎となる栄養面やメンタル面で選手たちを支える母親的な存在になろう」と考えたのだ。経験と実績に加え専門的な知識を備えた谷本の指導は、若い選手たちの成長にさぞ大きな影響を与えることだろう。

 彼女のようにスムーズにセカンドキャリアへ移行できるアスリートは一握りである。本人いわく、引退を考え始めたのは北京オリンピックの後ということだから、実際に引退を発表するまで約2年をかけてセカンドキャリアの準備をしてきたことになる。引退後の身の振り方を決めるにあたっては、「自分がどのように社会に携わり貢献できるか」を第一に考え、「北京オリンピック後はひとつのことをやり遂げた充実感があり、選手生活に悔いはなかった。だから指導者としてチームに貢献し、会社に恩返しをしようと決めることができた」とも話している。
 どんな形で現役生活に幕を引くか、選手本人がどれだけ高い意識を持って第二の人生を考えられるかがセカンドキャリアを左右することを改めて痛感する。そして谷本の場合、選手の意向を尊重しバックアップするコマツの存在を忘れてはならない。

 長らくスポーツ界の課題となっているアスリートのセカンドキャリアへの取り組みは、日本オリンピック委員会(JOC)が推進する就職支援プロジェクトで先日4人目の内定者を出すなど、組織単位、個人単位で粛々と行われている。これを大きなうねりにするためには、選手の意識づくりと組織による仕組みづくり、企業の協力といった三位一体の連携が不可欠だ。
 こと選手にいたっては、「競技で良い成績を挙げても、人間性が伴っていなければ社会には必要とされない」とは谷本の談。「自分の将来を決めるにあたって他力本願の選手が多い」と苦言を呈す。柔道を、柔道本来の理念である人間教育と捉え、その真髄である一本勝ちを貫くことで自分を磨いてきた柔道家だからこその言葉である。

高樹 ミナ(たかぎ みな)

スポーツライター
2000年シドニー大会の現地取材でオリンピックの魅力に開眼。
2004年アテネ大会、2008年北京大会を含む3大会を経て、
2016年オリンピック・パラリンピック招致に招致委員会スタッフとして携わる。
競技だけにとどまらず、教育・文化・レガシー(遺産)などの側面からオリンピックとスポーツの意義や魅力を伝える。
日本文化をこよなく愛し、取材現場にも着物で出没。趣味は三味線と茶道。
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